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去年の夏、渋谷を中心に発生した連続通り魔殺人事件。昼下がりの往来で突如起きた辻斬りまがいの刃傷沙汰を発端に、若者を狙った連続障害事件が明るみに出た。当初犯人の動機などは一切不明とされ、東京都民のみならず、日本全国の善良な市民を震撼させた事件である。
当時三重県在住であった俺も、連日通り魔殺人事件の報道を目に耳にしていたと記憶している。
「要するに、同時期にでっかい事件がありすぎた所為で交通事故なんかには見向きもされなかったって事ですか」
被害者に対しては無礼千万な言い草かもしれないが、結論から言うとそういう事なんだろう。このかも阿傍さんも苦笑いをしている。
確かに連続通り魔事件と交通事故では、話題性は雲泥の差だ。各種メディアがどちらを取り上げるか、もはや考えるまでも無い。
「んー……でも困ったな。そうなるとどうやって調べればいいのか」
探偵の真似事を始めてから、こうやって悩むのは何度目だろう。ここまでは行動する事で偶然新たなヒントと巡り合えていた訳だが、今回ばかりはそうも行かないだろう。なにせ、どのように行動を起こせば良いのかが分からないのだ。
「警察に資料を見せてもらうとかは……」
このかが宙を目で追いながら呟きかけ。
「無理ですね。はい」
俺達の顔を見て俯く。
「若しくは被害者のご家族を訪ねるか。かな?」
これは阿傍さんの案だ。激しく気後れするが、確かにそれならば確実性が高そうだ。
「被害者の方の名前は、あちこちで報道されてますしね!」
拳を握り締め、このかがぱっと表情を華やがせる。確かにその線で攻めるのは有効だろう。だが、はっきり言うと気が重い事この上ない仕事だ。
ご家族には何て言って協力を仰げば良いのか。想像しただけで胃が痛む心地がする。
「警察官の方には尊敬の念を抱かずにはいられないな……」
俺の呟きを受け、阿傍さんは苦笑を浮かべ、このかははてと首を傾いだ。
神宮宿舎の黒電話がジリリとけたたましい音を立てた。
このご時世にダイヤル式の電話機なんてと最初は自分の目を疑ったものだが、いやはや人間の適応能力の凄まじさと言うべきか、二ヶ月ですっかり馴染んでしまった。
いはく「まだ使えるのにホイホイ捨てるなんて勿体無いからね」と、宮司さんが仰っていられた。
勿体無いのは分かるが、まさか三十年近く愛用されるなど、日本電信電話公社も想定していなかっただろう。
「はーい、いま取りまーす」
と、このかがパタパタと小走りに電話機へと駆け寄る姿を横目に、俺はそんな事を考えていた。
「もしもしー、宿舎ですけどー」
因みに電話は明治神宮内をつなぐ内線である。親機は社務所に置かれており、現在そちらから繋がっているのだ。なので、こちらで電話を受ける際は必ず神宮の者から交換されるという仕組みになっている。社務所同様に神楽殿にも直通の電話とFAXがある。そちらの二箇所は流石に黒電話ではないので安心して欲しい。
「直弥さん」
不意に声が掛けられた俺は、何事かと体を起こして声の音源へと視線を廻らせる。見るとこのかが送話機部分を押さえながら呼んでいた。
「上田さんからなんやけど、例の彼氏さんの写真が見つかったそうです」
「本当か!」
俺はがばっと立ち上がり、このかへと歩み寄った。換わりますか? と聞かれたので、俺は即座に頷き、このかが電話の向こうへ一声掛けてから受話器を渡してくれるまでの僅かな時間すらもどかしく感じながら待った。
「もしもし、原田ですけど」
『あ、えっとぉ……上田ですけど』
受話器越しに聞こえる上田さんの声は、当然といえば当然だが遠慮がちなものだった。しかしテンションが急上昇中な俺はそんな事お構いなしに口早に本題を切り出した。
「前森さんの恋人の写真があったそうですね」
『え、うん……高校のときのアルバムを見てみたら、ナナと彼氏と一緒に遊びに行ってたときのが偶然あって』
「ちょっとお借りする事は出来ませんか?」
『いや、いいですけど』
「ありがとうございます、それじゃあえーと……」
早速写真を借りられる事になった。都合のいい日に会おうと、俺は手元のメモ用紙を手繰り寄せようとした。そのときである、その手に覆い被せるようにして、このかの手が添えられた。
何だろうとこのかの方に視線を遣ると、このかの苦笑が目に入り……何故かやんわり受話器を取り上げられてしまった。
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「……どうですか」
手渡された写真を睨む俺に、このかの声がかけられた。
現在週を明けて月曜日の昼過ぎだ。午前中に上田さんから写真を受け取ったこのかと合流して、俺達は件のバス停で前森さんが現れるのを待っているところだった。
「うーん……こんな顔だったような気もするし、違うような気もする」
写真の男性は前森さんと肩を組み、楽しそうに笑っている。先週見たあの無表情な亡霊とは雰囲気がまるで違うので、正直判断に困る。
茫洋とした亡霊の印象を思い返してみても、なにせ自信が持てない。俺は写真とこのかの顔を交互に見遣る。段々このかの俺を見る眼が胡散臭そうになって行くのが分かった。
「まあ、本人かどうかは前森さんが来はったら分かる事ですけど」
俺の手から写真を摘み上げ、このかが言う。
「前森さんには何て言うつもりですのん?」
「偽者なら……って言い方は変か。前森さんの彼氏じゃあ無ければ何も言わないよ。下手に不安にさせる必要も無いし」
「なら……彼氏さんやったら?」
その言葉に、俺は僅かな間だが言葉を詰まらせた。
一昨日の夕方、上田さんから写真が見つかったとの連絡を貰ってからずっと考えていた事である。他の方法など、俺には思い付く事が出来なかった。
「もしそうなら、前森さん本人に聞くしか無いよな……」
たった一つな筈の答えがすらすらと口をついて出て来ないのは、恐らく俺自身の心中に迷いが残っているからだろう。或いは躊躇いか。
……恐らく両方だろう。
「前森さんに反応するように現れるって事は、意志が失われていながらも彼女の事を想っているからだ。その存在が前森さんに何らかの害を及ぼすのであれば、もう前森さんに異変が起こって居るはずだ」
俺の説明を聞いて、このかはなるほどと手を叩いた。
「前森さんの体調に変化が無ければ、悪い亡霊さんと違うって事ですね」
「まあ、前森さんの恋人でないならば、なんで前森さんに反応するのかって所も調べなきゃいけないんだけどね」
そうなったら面倒臭いなぁ……なんて事は口が裂けても言えないが、この一週間で裏取り捜査の大変さを思い知った俺としては、そう思わざるを得なかった。
「甘いな。そんな即効性のある呪いなど、地縛霊ごときに引き起こせる訳が無いだろう」
まさかこの場面で聞く事になるとは思ってもみなかった声に、俺とこのかはびしゃりと鞭打たれたように緊直した。
「つ、司様!?」
慌て振り返ると、其処には七ツの尾を揺らす、優美な黒狐の姿があった。
「どうして此んな処に?」
驚きの余りに上擦った声でそう問い掛けてしまった俺に、司様は少しだけ意地悪そうに笑われ、そしてこう仰った。
「なに、そろそろ真相に行き当たるらしいのでな。見に来た」
司様の茶目っ気に俺が不必要な緊張を感じる横で、このかは冷静に司様のお言葉に対して疑問をぶつけた。
「司様……呪い、とはどう言う事なのでしょうか?」
そうだ、司様は確かに「即効性のある呪い」と仰っていた。よもや亡霊は前森さんに怨みを抱いているとでも言うのだろうか?
「陰陽師等が使う呪いは、基本的に妖異による祟りだとかと同じ原理で動いている。それは物質界に隣接した次元層の存在によって、人間等の三次元存在の第四方向の質量にダメージを与えるものだ」
「はあ……」
頷いたが、正直よく分からない。しかし司様はそんな俺の気などお構い無しに話しを続けた。
「物質界の肉体が生命の大部分を占める人間に、第四方向の質量に対する攻撃を仕掛けたところで、その効果は微々たるもの。呪い殺す迄には相当な時間が掛かるものだ」
と、其処まで聞いて漸く俺は司様の仰る意味を理解した。
「つまり、今の段階で前森さんに異変が無くとも、亡霊が無害であるとは言えないと……」
「私がどうしたって?」
「うわぁ!?」
いきなりの事に驚いた俺はそのままバランスを崩し、このかに飛び掛かるような形で盛大に傾いた。見た目に反して力のあるこのかは平気な顔をして俺の身体を受け止めたが、俺の男としてのプライドはそのまま地面に落ちて砕け散った。
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「あらら、大丈夫?」
みっともなくこのかにしがみつく俺をニヤニヤ顔で見ながら、前森さんが言った。元々何度か話した事が有った俺とは顔見知りであったし、このかとも最近仲良くなった前森さんの態度はいたってフレンドリーだ。
「あ、え、えっとぉ……」
気恥ずかしさに口篭りながらも身を起こした俺の手にあるものを目敏く見付け、前森さんは悪戯っ子のような笑顔でそれを引っ手繰った。
「えいやっ」
「あっ!」
「あぁっ!?」
俺とこのかに電流走る。
前森さんに奪われたそれ、即ち上田さんから借り受けた前森さん達の写真である。
「なによぉ、私に見られちゃマズい物なの?」
俺達の慌て様に、前森さんは愉快そうに笑いながら、手にした写真を覗き込んだ。
「ん〜……?」
何の写真だろうと興味津々な前森さんの表情が豹変したのは、正にその瞬間である
「……なにこれ」
凍て付いたような無表情で呟いた前森さんの声が微かに震えている。
俺もこのかも想定外のピンチに震えているが、理由が全く別の感情であるのは明々白々だった。
「なんで……この写真を持ってるの?」
手元の写真からゆっくりと視線を上げた前森さんの声と眼光からは、仄暗い怒りの表情が窺える。
「前森さん。えっと、これには深い訳ゆうもんがありまして……」
慌てて弁明を挟もうとしたこのかに対し、俺の起こした行動は真逆だった。なし崩し的にこうなってしまったが、今更隠し立てをしても仕方が無いと思ったのだ。だから、このかの言葉を遮ることに躊躇いは無かった。
「黙ってプライバシーを侵すような真似をした事は、本当に申し開きのしようがありません。でも、実は前森さんとその写真の男性に関わりのあると考えられる異変が確認されたんです」
俺とこのかが神社庁の者であるという事は、國學院では周知の事実であり、当然前森さんも承知している事だ。その神社庁関係者である俺達が“異変”と言うのだから、それはつまり怪力乱神の顕れである事を暗示している。仮にも神道関係者である前森さんに対してならば、皆まで言う必要は無い。
だが俺が自分で言ったように、これは前森さんに対して非常に失礼な所業である事になんら変わりは無い。静かな怒りを湛えた瞳で俺を睨みながら、前森さんは俺を詰問する。
「何よ。異変って」
俺は静かにバス停を指差す。
「前森さんがこのバス停に立つとき、男性の姿をした亡霊が姿を現わすんです。それが……」
「それがマサヒロだって言うの?」
マサヒロ……ニュースサイトで確認した男性の名前、内藤雅博と一致している。
恐らくと頷き、彼女をバス停の横へと誘う。半信半疑の表情ではあるが、僅かに期待と焦燥を感じさせる表情で前森さんがその位置に立った。
「……来た!」
このかが目を見開き、小声で言った。
流石に前森さんの手から写真を奪い返す程空気が読めなくは無い俺は、先程まで眺めていた写真の男性と、前森さんの隣に浮かび上がって来た亡霊の顔を脳内で照合した。
「ああ、間違いない」
頷き会う俺達とは対照的に、前森さんはキョロキョロと周囲を見回している。今は亡き恋人を探す瞳が僅かに潤んでいるように見えたが、隣で自分の手を握る男の姿は、一週間前のあの時同様、見えていないようだ。
「何よ、何も見えないわよ?」
俺達の様子から、そこに何かが居るという事を感じ取ってはいるのだろうが、前森さん自身は亡霊となった内藤雅博の姿を認識出来ていない。彼女には第四方向の存在を認識する為の眼が備わっていないのだ。
「前森さん、彼が亡くなられてから身体に異変は有りませんか?」
俺の質問に、前森さんは明らかに不快そうに眉根を寄せた。
「な、何でよ?」
「彼の思念が第四次元に焼き付いた影は、貴女が傍に立つ度に現れ、触れようとするのです。その事で貴女の心身に悪影響を与えている可能性があるんです」
その言葉を口にした瞬間、俺は鋭い衝撃を感じ、視界が瞬間的にブレた。
「パン」と乾いた音が鳴り響き、痛みと言うよりも熱さが頬を包んだ事で、俺は頬を打たれたのだと理解した。
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「ふっ……ふざけないでよ!」
上擦った声で前森さんは怒鳴った。
怒りの余りに手は震え、耳まで真っ赤に高潮した姿から、彼女の怒りが頂点に達している事が見て取れる。
「マサヒロが、あ……あたしにそんな事する筈無いじゃない! 神社庁だか何だか知らないけど、いい加減なこと言わないでよ!」
「待って下さい、亡霊となった人にはもう」
「うるさいわね! 私に何も見えないからって、好き勝手な事言わないで! マサヒロはあたしに危害を加えるような事なんて絶対にしないんだから。そんな人じゃないの、あたしが一番よく知ってるのよ!」
このかが割って入ろうとしても、前森さんは聞く耳を持たない。恋人が自分に害を為そうとしているなど、侮辱に他ならないという事は俺も理解しているつもりだ。
しかし相手は意思も思考も持たない亡霊であり、前森さんの言うような“生前の彼の性格”などはまったく関係が無い。その事は海外のみならず、この日本においても余り知られていない事だ。
冷静さを失っているとは言え、神道関係者である前森さんが理解していない……或いは認めたくないだけなのかも知れないが……その事がその証左に他ならない。
「貴女もそうやって、あたしの事調べるために近付いてきたんでしょう。馬鹿にして!」
仕舞いには眼に涙を湛え、前森さんは大声でがなり始めた。
「そんなことは……」
反論しかけて、このかは言葉を飲み込んでしまった。少なくとも半分は彼女の言う通りであるし、何より気持ちが理解できるだけに強く返す事も出来ないのだ。
「二度とあたしに近づかないで、顔も見たくないわ!」
俯くこのかに、そして俺に敵意むき出しな眼を向け、前森さんは弾かれたように駆け出した。一瞬追おうとして、しかし俺の脚は彼女の背中を追って踏み出す事は出来なかった。
視界の端で、無表情の男が空気に溶けるようにして掻き消えていった。
「……やれやれ、嫌われてしまったようだな」
全く会話に入って来なかった司様が、溜息混じりに言った。
「申し訳ありません」
何故か俺より先に謝ったこのかは今にも消えてしまいそうな程にしょげた声をしている。
「彼女に写真を見られる危険性を忘れていました。何というか……面目次第もありません」
「私に謝らなくても良いのだがな。以後は、もう少し熟慮してから行動を起こすようにしなさい……それにしても」
俺達にフォローを入れながら、司様は前森さんの後を視線で追った。
「……? どうかされましたか?」
「いや、あの娘を見ていると、少し思うことがあってな」
半泣きの眼を瞬いて、このかが疑問符を頭に浮かべている。勿論俺にも司様の仰る意味が理解できず、はてと首を傾げた。
「昔は多くの人間が我々と同じ世界を共有していたのだが、何時からだろうな。神霊と言葉を交わせる者の方が少数となり、気付けばお前達もまた特別視されるような立場の存在となってしまった。神と人間は互いに隣人同士であり、密接な関係の下で生活していたというのに、時が経つにつれて互いの交わりも薄れ、遠ざかって行く一方だ」
そうして、司様はゆっくりと俺達二人の方へと向き直ると、ほんの少しだけ寂しそうに呟いた。
「私はいつか、人間が神を忘れてしまうのではないかと……時々不安になるのだよ」
「司様……」
日本神道中心地であり、天照大御神を祭る我が伊勢神宮に於いても、もう十八年も第四方向の眼を持つ者が現れていない。司様の仰るとおり、時が経つにつれて神霊と言葉を交わす事ができる人間が少なくなっているというのは事実であった。
このまま俺達のような交霊術士が減少し続けたら、やがて人間は神も妖怪も“存在しないもの”として扱うようになってしまうのだろうか。
司様を含め、多大なる恩寵を人々に齎して来た神を、人間が忘れてしまう日が来るのかもしれない。
それは俺達が生きている間ではないにしろ、永き時を生きる司様にとっては、やがて訪れるであろう未来なのだ。
そのとき、司様はどうなってしまうのだろうか?
先程とはまったく別の、しんみりした沈黙が空気を支配する中、不意に司様がふっと息を漏らせた。
「お前達には関係のない話だったな。済まない……帰ろうか」
「あ、はい!」
言うが早いか、さっさと歩き始めている司様を追いかけるように、俺達は後へと続く。
司様に従いながら、さっきのは逆に俺達が気を使われたのだと気付き、自分の株が只管下落の一途を辿っている事に気付いた俺は激しくしょげていた。
「司様」
一柱と二人で横断歩道の信号待ちをしていたとき、このかが司様に呼びかけた。
「うん?」
狐の姿である司様は傍らに立つ自らの巫女へと視線を上げる。このかはその視線を優しい微笑で受け止め、こう続けた。
「私は、絶対に司様を忘れたりなんて致しませんえ」
その言葉に、司様はきょとんとした顔をされていたが、やがて太陽の眩しさに眼を細めるような微笑みを浮かべ、満足そうに答えた。
「そうだな」
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