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7
さて、捜査と言っても俺達は探偵でもなければ警察でもない。強いて言うなら、公務員だろうか?
「でも神社庁は国の省庁ではありませんし、公務員って言うんも違うんやないでしょうか?」
なんかややこしくなって来たな。もう一大学生でいいや。そんなただの大学生二人に、他人の過去や人間関係の調査なんて出来るのだろうか。
「どうしたものかなぁ」
パラパラと探偵小説のページをめくりながら、俺は弱気な声を漏らした。
ブックオフの一角でこのかとこれからの捜査について話ながら、捜査のヒントでも書かれていないかと刑事ものの小説を斜め読みしていたが、今の所助けになりそうな記述は無い。
「考えてみれば、地道な捜査なんて部分を丁寧に書かれていても、怠くて読む気が起きないだろうしな」
「むぅ。誰か警察の知り合いでも居てたら良かったんですけどね」
仏頂面の二人が並んで唸る。地元では警察も頭が上がらない伊勢神宮に暮らし、東京では天下の明治神宮。警察のお世話になる要素がそもそも無いのだ。
「対応班の関係で警察と知り合ったりしないのか?」
本を書架に戻しながら、俺はこのかに聞いた。特別対応班は俺のような一般職とは違い、事件性のある事にも首を突っ込む事がある。事件性のある事といえば、そこに警察の影があってしかるべきだ。
「私もまだ大した仕事を任されてませんからねぇ。おまわりさんとご一緒することもあれへんかったですし」
「そうか……」
「対応班の先輩の方なら、そういう関係もあると思うんですけど」
言いながらこのかも本を書架に納める。古本屋では資料が集まらない。これも今更気付いた事だった。
「先輩……ね」
神宮宿舎では、交霊術士の阿傍(くまばた)さんが四つん這いの悩殺ポーズをとっていた。往年のルビー・モレノも真っ青な肢体を強調しつつ、彼女は右手に構えたデジタルカメラを、自身の正面にいる司様へと向けていた。
「……何してるんですか?」
背後から声をかけられた阿傍さんはビクッと身体を震わせ、ゆっくりと振り返った。俺とこのかの視線にさらされ、気まずそうにしている。
「…………」
「…………」
「いや、新しいデジカメ買ったもんで、折角だから司様をモデルにって……」
と、雌豹のままで照れ隠しの笑みを浮かべた阿傍さんに、今度は前方から声がかけられる。
「カメラがどうというより、最初から私を撮るつもりだったのだろう? こんな物まで用意しおって」
司様はお見通しだと言わんばかりにそう申され、阿傍さんはいよいよバツが悪そうに愛想笑いを深めていた。
ちなみに、司様が仰る「こんなもの」というのは。
「まあ、かわいらしい!」
このかがぱっと表情を華やがせながら言った。彼女の視線の先にあるのは、黄色い雨合羽を着て、座布団にちょこんとおすわりをしている、彼女の師匠だ。
「ほ、ほら。もうそろそろ梅雨も近いでしょ? 司様にどうかなーって思って」
「傘を差せば済む話だがな」
そんな事以前に、神にも等しいお方に、ペット用の雨合羽を着せること自体に問題があるのではなかろうか?
「ブログのネタにでもしようって腹積もりでしょうけど、気をつけた方が良いですよ。司様のファンクラブには、結構頭の堅いタイプの人も多いみたいですから」
司様を話のネタにすること自体は構わないだろう。神社庁の宣伝係を兼任しているらしい阿傍さんのブログは、もともとアイドルのような阿傍さん自身の魅力もあってか、アクセス数はなかなかのものだったらしいが、俺達……というより司様が明治神宮に来てからは、それが爆発的に伸びたそうだ。
「う〜……炎上とかしたらヤだなぁ」
俺の進言に嬉しくない未来を想像したのか、阿傍さんは残念そうにカメラを仕舞いこんだ。
「それで、何か分かったことはあったのか?」
話が一段落した所で司様が俺達に聞いた。俺はこのかに目配せし、ここまでに得た情報を司様と、対応班の先輩である阿傍さんに報告した。
8
阿傍さんに連れられて、俺とこのかは神社本庁の庁舎へと向かっていた。いわく「神社本庁には全国神社の情報が収められているから、関係者筋の調査をするには一番早い」との事だ。
神宮宿舎から神社本庁までは、歩いて五分も掛からない。なんとも都合のよろしい事だ。
参道の砂利を踏みしめながら、阿傍さんと俺、そしてこのかの三人は北門へと歩く。開門時間中は多くの人で溢れかえる明治神宮も、観光名所たる清正井で有名な御苑とは逆方向の北門付近にあっては、参拝客の影もまばらであった。
掃き屋と呼ばれる掃除の職人や、門に詰めている警備員と軽く挨拶を交わしながら、間も無く神社本庁庁舎へと辿り着く。
神社本庁の地下一階には、図書館が如き様相を呈する書架が所狭しと並べられていた。分厚いファイルや、年代を感じさせる装丁の書物。紙の箱に収められた巻物など。恐らく歴史的価値も高そうなそれらの保存性も考慮してであろう、ひんやりした空気も相まって、資料室というよりは宝物庫といった感じだ。
「甲本さーん、いますかー?」
阿傍さんが部屋の中へ向けて呼びかけると、少しの時間を置いて、一人の老人が姿を現した。チェックのワイシャツに毛糸のベストを重ねた、少し堅物そうな老人だ。
「おー、チマちゃんかい。今日は何の用だい?」
厳しそうな表情はあまり変わらなかったが、老人……神社本庁資料室室長・甲本繁久さんは優しそうな声で問い返した。
せむしで厳めしい顔つきの甲本さんは、その見た目から怖そうなおじいちゃんと思われがちだが、付き合ってみれば人柄の良い好々爺であるそうだ。
「えーと、ちょっと神社関係者のことで調べたいことがあるんですけど……何処の誰だっけ?」
へらっと笑い、阿傍さんが聞いた。
資料室の奥にある机に、千葉県染鳴神社に関するいくつかの資料を集め、それを元に阿傍さんが備え付けのパソコンを操っていた。
想像では資料を片っ端から読んで行くのかと思っていたのだが、案外そうでもない様子で、すぐさま文明の利器を利用することになった。
「どの資料に欲しい情報があるかなんてわからないでしょ? コレなら検索かけるだけで出てくるから、時間も労力もちょっとで済むからねぇ」
全くもって正論である。
そもそもこの件に関しては、神社庁の仕事とは一切関係ない独自の調査なのだ。そんなことの為に、特別対応班の職員を二人も拘束することなど、許されることではないだろう。
そんな理由もあって、効率化された神社庁のデータバンクに、俺は少なからず感謝していた。
時計の長針が一回り半ほど回ったあたりで、阿傍さんが胸を反らせた。
ギッと椅子の背もたれが鳴き、うん……と色っぽい声を上げ、そして深いため息をつく。
「なーんにもないみたいね。前森さん一族には特に秀でた交霊術士を輩出した記録も無ければ、呪われたりするような事件も起こってない」
「えっと、つまり……?」
雲行きが悪くなってきたようで、俺は不安に感じつつも阿傍さんの結論を求めた。
「つまり、件の亡霊に関しては前森一族としての関係性は無いってこと。有るとすれば、当事者の彼女個人に関係するものってことね」
「なるほど」
霊に関する情報が残っていないと言うことは、前森さんと亡霊の関係性は、少なくとも彼女が千葉を離れてからのものであるということになる。それ以前に、本当に前森さんとの関係性があるのかどうかも立証されてはいないのだが。
「警察って、いつもこんな風に捜査してるんでしょうかねぇ?」
手がかりがないと言われたも同然の状況に気落ちしながら、ついそんなことを呟いてしまった。聞いても分かる筈なんて無いのに。
「そうみたいだね。あっちは人海戦術が出来るから多少はマシみたいだけど」
「……なんでそんなこと知ってるんですか?」
「ふふふ、企業秘密」
そう言って、阿傍さんはふっくらした唇に細い人差し指を当てて微笑んだ。魅力的と言わざるを得ない仕種に、阿傍閻という人物は存在自体が反則だと、しみじみ感じてしまった。
9
「このか、いい加減に起きろ」
随分と静かだと思っていたら、このかは机に突っ伏した状態で居眠りをしていた。昼間の内は元気だが、日の傾いた辺りから動かないで居ると船を漕ぎ出すのがこのかの悪い癖だ。おそらく高校まではそれで勉強が捗らなかったのだろう。
俺に肩をゆすられ、目蓋を重たそうに開いたこのかは、辺りを見回してお約束の一言を放つ。
「……あれ、ここ何処ですか?」
「神社本庁だよ。何しに来たか覚えてるか?」
「はい……いいえ、はい」
「どっちだ」
甲本さんに挨拶をした俺達は神社本庁を後にした。神宮宿舎に戻るまでの短い道のりで、このかに先ほどの調査で分かった事……正確には何も分からなかったという事を伝え、そしてこれからの調査方針を伝えた。
「ようするに、結局本人に聞いてみるしかないって事ですね?」
「いや、本人に直接聞く前に、周囲の人間から当たってみようかと思う」
先にも述べたが、やはり「あなた亡霊に手を握られてましたよ」なんて言われて気持ちのいい人間は居ないだろう。それに、本人が知られたくない事である可能性もある。
「プライバシーの問題とかさ、色々あるだろう?」
しかしこのかは今ひとつ得心の行かない様子だ。
「でも、それやったら本人に気づかれないようにプライバシーを探るようなものと違いますのん?」
「うっ!?」
このかの一言に、俺は息を呑んだ。確かにその通りである。俺はこの怪異を解明したいが為に、他人のプライバシーに踏み込もうとしているのだ。
口では人権尊重みたいな事を言いながら、やっていることは真逆なのではないか?
狼狽する俺の様子に気づいたのか、このかも心配そうな顔をして俺を覗き込んだ。
「このか……」
どうしよう。などと聞くことが出来ようはずが無い。ここまで俺が引っ張ってきたのに、今更このかに導いてもらおうなんて虫が良すぎるというものだ。だが、俺の心はまさに混乱の極みにある。どうすればいいのか、まるで見当もつかない。
二の句を告げられずに黙り込んだ俺の手を、このかは優しく握った。
ハッとして彼女の顔を見ると、優しい微笑と、同時に力強い眼差しが俺を捕らえた。
「直弥さん、私達は神霊と言葉を交わす為にここに居るんですよ。それは、それが出来ない沢山の人たちの代わりに、私達がやらなければいけないことなんです。もしあの亡霊さんが本当に危険な存在なら、被害が出ぇへんように対処してあげないけません……そうでしょう?」
このかの手の温もり、言葉の温もり、迷う俺を否定しない心の温もりが、俺の苦悩を和らげてくれるのがわかる。自己矛盾により苛まれる俺の心が、すっと楽になっていった。
「そうだよな……前森さんはどう思うか分からないけど、俺達はあの亡霊の正体を突き止めなきゃいけないよな。人の為だけじゃなく、あの亡霊自身の為にも」
「そうですとも」
我ながら単純だとは思うが、このかに癒された心は早速燃え上がり、俺に再びやる気と闘志を燃え上がらせてくれていた。
このかも笑顔で同調し、テンションはだだ上がりだ。
「え〜……コホン。私先に帰ったほうが良いかしら?」
ふとそんな言葉を掛けられ、我に返る。
気づけば俺は両手でこのかの手を握り締めていたし、阿傍さんはジト目でこちらを見ていた。
慌てて手を離し、無理やり咳払いをしても、気恥ずかしさは拭えなかった。
10
翌日から、俺とこのかは前森さんの友人を中心に聞き込みをはじめた。
女性の友人ということで、当たり前の事ながら聞き込み対象の大部分が女性だった。
恥ずかしながら、年齢=彼女居ない歴の俺はいきなり尻込みしてしまった。しかし、このかの人懐っこい性格が幸いし、あっという間にこのかは彼女らのコミュニティに溶け込んでしまった。
このかは見ての通り少々世間ずれしたところのある娘だが、國學院大学という神道とゆかりある学び舎においては、まるで問題にならなかったようだ。
國學院大学恐るべしである。
とはいえ、其処に男の俺が混じろうとすると、途端に警戒心を剥き出しにされる事は少なくない。女子特有の強烈な縄張り意識とでも言うのだろうか。男はこれに弱いのだ。
しかも俺は、前森さんの過去を本人に隠れて調査していると言うのだから、怪しまれない筈が無かった。
仕方がないので一先ずはこのかに任せ、前森さんに関する情報を引き出せそうになった段で俺も同席させて貰うという方針となった。
「前森さんと親しいご友人は五名。殆どの講義を一緒に受けてらっしゃる方が三人で、後の二人は遇々一緒になった講義で仲良うなったそうです」
このかの報告を受け、俺はふんふんと赤べこ人形のように首を振った。このかは調査開始当日に前森さんのグループと接触し、そして三日目の今日にはメンバーを把握していたのだ。
「後者2名は前森さんの過去にまでは詳しく無いだろう。一応話しは聞くが、有力な情報は期待できないと考えた方が良さそうだ」
テーブルに広げた使用済プリントの裏にメモをとりながら、俺は断じた。
重点的に聞き込みを行うのは前者。上田百合絵、細田由紀、大橋秋奈の3名だ。
「……それにしても、たった3日でよく調べたなぁ」
同じクラスとはいえ、選択している講義が被っているとは限らず、よしんば一緒だとしても自分と関わりの少ない者が誰を懇意にしているかなど、案外見分けづらいものだった。このかが教えてくれた五人の内、前森さんと仲が良いと俺が知っていたのは細田由紀ただ一人であった。
他にも当然仲が良いだろうと見ていた者も、講義でよく話すだけだという程度だったりで、傍から見ていただけでは勘違いしたままであっただろう。
「明日の二限のあと、上田さんだけ一コマ置いてもうひとつ講義をとってはるみたいなんで、そこでお話を伺いましょう」
なんと受講スケジュールまで押さえていると言うのか。
「このか……お前、探偵の才能あるんじゃないか?」
大袈裟と思われるかも知れないが、この時俺の目には、このかが名探偵のように映って見えたのだ。
土曜日は比較的学生の数が少ない。大学は学生が自分で時間割を組み立てるシステムなので、土日休みにしている者も少なくは無いらしい。
尤も、講義自体の数も他の曜日に比べれば少ないようだ。学生が少ないから講義も少ないのか。それとも講義が少ないから学生も少ないのか。
「ニワトリかタマゴかって話みたいですねぇ」
俺のどうでもいい感想にそんな相槌を入れ、このかは楽しそうに笑った。
「ところで、上田さんは前森さんとはどれくらい仲が良いんだ?」
何の気無しに聞いたが、我ながら曖昧な質問である。量的に量れる事でも無いのにどれくらいなどと……
「これくらいですっ!」
とか、このかが両手を広げて言い出したらどうするすもりなのか。俺は一人勝手に思い悩んだ。しかし、このかは俺の意図をしっかりと汲み取っていたようで、返答は案外分かりやすいものが返って来た。
「何でも前森さんとは高校からのお友達だそうですよ。いつも居てる方達の中でも、一番お付き合いが長いみたいです」
「へぇ、そうなのか。じゃあ、その上田さんも千葉から?」
「いえ、上田さんはこっちの方らしいんですけど……」
それを聞いて、俺ははてと首を傾げた。千葉県出身の前森さんと高校で一緒だった上田さんが東京の人と言うのは、一体どういう事だろうか?
俺の困惑が伝染ったのか、視線を向けられたこのかも少し困った顔を作る。
「取り敢えず、その辺も含めて上田さんに伺ってみましょう」
考えていても埒が明かないと、俺達は上田さんの登場を大人しく待つことにした。
11
時間は正午、俺とこのかは二号館の生協レストランに居た。
時間が時間なだけあって、レストランには多くの学生や教員、その他おそらく部外者と思われる人達がわんさか押しかけていた。
牛カルビ定食の美味しそうな匂いに腹の虫が鳴いた頃、待ち合わせの相手である上田百合絵が姿を現せた。
「あ、上田さん。こっちですよー」
待ち人の姿を認めたこのかが手を振って呼ぶと、彼女は小走りで俺達の方へとやってきた。
「お忙しい中呼びつけてしまってすみません、昨日お話した件で、少し詳しく伺いたくて」
「うん、それは良いんだけど……」
上田さんは身長の低い女性だった。お互い立った状態で、このかの目線程度までの上背しかない。それもヒールのある靴を履いてだ。その身長を気にしてか、茶色に染め上げた髪を頭頂部で巨大なお団子にして高さを稼いでいた。しかし目線の高さは誤魔化せず、下から見上げるような格好で俺に向け、好奇の視線を向けてきた。
「彼氏?」
ニヤリと口角を歪め、上田さんはこのかに尋ねた。
「いいえ、そうではなくてですね」
このかは笑顔で、しかしきっぱりと否定してくれた。そして掌をこちらへと差し向け、いつも通りの調子で俺を彼女に紹介する。
「こちらは原田直弥さん、お伊勢さんのご出身で、私と同じく神社庁でご厄介になっていられる方です」
さり気無くしょげながら、俺は上田さんに対し会釈をする。彼女は「なーんだつまんない」とでも言いたげな表情だった。しかし、ふと何かに気付いたようにこのかへと視線を戻すと、小声でこう確認した。
「ってことは、もしかして神社庁の仕事関係の話なの?」
「ええ、まあそういう事です」
俺は嘘をついた。
この調査は神社庁の仕事ではない。しかし俺が「そうだ」と答えたのは、ひとえに「違う」と言った時の説明が面倒だったからだ。
そもそも、違うと言ったら彼女が協力してくれるかどうかも怪しい。一応はこのかが話を聞かせてもらうと約束を取り付けてくれていたが、それでも興味本位で他人の過去を穿り返すなどと言うことは褒められた事ではないだろう。
「もしかしてナナ……なにか危険なことに巻き込まれてるとか?」
「いえ、まだ直接的な危険は確認されていませんが、万が一前森さんに危害が及ぶことがないように調査しているところです」
「そう……わかった。何を話せばいいの?」
友の身を案じてだろう、上田さんは眦を決して椅子に腰掛け、俺とこのかも同じテーブルを囲んだ。
「ええと、まずは上田さんと前森さんの仲について少し聞かせてもらっていいですか?」
「私とナナは高校のときからの友達なんだけど、彼女高校に上がるときに千葉からこっちに来たのよ」
「あら、高校から一人暮らしっていうんもそう珍しい話やないと思いますけど、わざわざ県外にまで出てらっしゃる言うんは珍しいかもしれませんねぇ」
「うん、実はね……」
このかの問いかけに、上田さんは辺りをサッと見回す。
俺たちが取調べの真似事のような対話していたのは、ざわめきの絶えない生協レストランの一角だ。人を隠すには人の中というが、こんな中でひそひそ話をしていても誰も気に留める様子もない。最初は周りが他人だらけで丸聞こえな事に気を揉んでいたらしい彼女も、誰もこちらの事など気に掛けていないと気付いたのか、段々と舌の滑りが良くなってきたようだ。
「実はナナ、その頃年上の彼が居たのよ。ちょうど三つ上の彼氏で、その彼がこっちの大学に通うから、ナナもこっちの高校にきたの」
ぐいっと上体を乗り出し、まるで女子の内緒話のような調子で上田さんは言った。
「でも、親御さんは反対したんじゃあ?」
「多分ね。理由を言っても絶対反対されるから、理由も話さずに出てきちゃったみたいなんだけど……」
「……だけど?」
不意に言葉を詰まらせた上田百合絵に先を促す。しかし彼女は突然口を噤んだまま、しばらく黙り込んでしまった。
やがて上田百合絵はおずおずと視線を上げ、躊躇いがちな声でこう続けた。
「そのナナの彼ね……去年亡くなったのよ」
12
「亡くなったって……一体どうして?」
問い掛けたこのかへと視線を移し、上田さんは沈痛そうな面持ちで答える。
「交通事故。ここからそんなに離れてない場所だったらしいんだけど、二人で居るときにバイクが突っ込んで来たんだって。で、ナナはかすり傷で済んだんだけど、彼とバイクの運転手はそのまま……」
「そんな。目の前でなんて」
その光景、そしてその時の前森さんの心情を想像したのだろう、このかは両手で口許を覆いながら瞳を潤ませた。
「それがよっぽど堪えたんだよね。しばらくナナ塞ぎ込んじゃってたんだけど、やっぱ偉いよね。親を振り切ってまで出て来た身で……あ、ナナ両親には向こうの大学に行ってやるって大見栄切ったらしいんだけど……やるって自分で言った事もせずに帰れないってココに入ったんだもん」
いつの間にか親友の自慢話にすり替わっている気がしないでもないが、このかはすっかり感化され、ほんにご立派ですねぇと頷いている。
「まあ、それ以降ゼッタイ恋人は作らないって言うようになっちゃったんだけどね」
恋人は作らない。前森さんは事ある毎にそう言っていた。面識が浅い俺でも、この二ヶ月足らずで何度も聞いているのだから、もはや口癖の域に達しているだろう。そしてその口癖の原因が、恋人を亡くした事による心的外傷と言う事か。
「上田さん、その……前森さんの亡くなった恋人の写真とかありませんか?」
上田さんは何で? と言わんばかりにキョトンとした顔を俺に向けたが、直ぐに俺の考えを察したのだろう。
「撮った覚えは無いから怪しいけど、探してみる」
「お願いします」
「あ、でもネットとかで調べたら出て来るかも」
「なるほど、交通事故のニュースなんかはよく報道されるし……こっちでも当たってみます」
阿吽の呼吸で頷き合い、俺達は次の講堂への移動がある上田さんと別れた。
帰りの道すがら、一気に真実に近付きつつあるという予感に背中を圧されたのか、俺の足は自然と速まっていた。
神宮宿舎に着き、このかがいつもの巫女装束に着替えると、俺達は阿傍さんに借りたノートパソコンをちゃぶ台で囲った。
「ところで直弥さん、彼氏さんの顔写真なんか探してどうしますのん?」
予想の斜め下を行く質問に、俺はがくんと脱力した。
「あのなぁ、こんな分かりやすい状況証拠が揃ってるんだぞ? 前森さんと関わりが深くて、彼女だけに反応する亡霊。恐らくその近くで起こったであろう死亡事件。その被害者」
其処まで聞いて漸く得心がいったのか、このかはぽんと手を打った。
「ああ! つまりあの亡霊さんは、前森さんの彼氏やって事ですね」
「確定とは言えないけれど、俺はその可能性が高いと思う」
「それを確かめる為に、その恋人の顔写真を入手しようって思っているのね」
このかの言葉を肯定し頷いたところで、背後から俺の核心を捉えた声が投げ掛けられた。パソコンを貸してくれた阿傍さんだ。その手には無線LANカードが握られている。ノートパソコンをインターネットに接続するために持って来てくれたのだ。
「うーん、写真……ないなぁ」
実際に調べてみても写真は出て来なかった。大手ニュースサイト等に、まばらではあるが事故そのものの情報はあるのだが、被害者の写真までとなるとそうも行かない。それ以前に、当該時期は妙に交通事故関係のニュースが少ない。
「そりゃあ、丁度山下事件の時期だからね」
阿傍さんはさも当然の事のようにその名前を口にした。
「山下事件?」
先に反応したのはこのかだ。後輩の不思議そうな声を受け、阿傍さんはああと声をあげた。
「そういえば、二人とも去年は民間人だったっけ」
阿傍さんは湯飲みのお茶を飲み干すと、俺とこのかに山下事件の荒ましを語り始めた。
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