Dimension Force

〜狐火の巫女〜

16

「そういえばこのか、今日は寄り道をして来たと言っていたが、なにか面白い所でもあったのか?」
 日も暮れはじめた午後五時半、司様が思い出したようにそう聞かれました。
 ようやく荷物の整理も終わり、居間で一休みをしているところで、きっと本当にふと思い出したのでしょう。
「ええ、学校の方は何だか、やけにあっさりと済んでしまいましたのやけど……」
 折角めかし込んで向かった國學院大學だったのですが、学生科事務に書類を渡すと、それだけで用事が済んでしまったのです。
 何と申しますか、もう少し何かあるかなぁと思っていた私は、逆に面食らってしまいました。
「それで、時間が余ったから直弥さんと周辺を歩いてみましたのやけど、あの近くに神社さんがあらはりましてね……金王八幡さんて所なんですけど、其処でちょっと手ぇを合わせて来ました」
 金王八幡宮は九百年も昔に建てられたと言われる神社で、境内には源頼朝が植えたと言われる……宮司様のお話では、頼朝から贈られたと言うのが正しいそうですが……金王櫻があり、中々風情のある美しい神社でした。
「金王さんには阿傍様が何度もお手伝いに行っていたって言うてましたえ」
 そんな他愛のない会話を続けている所に、今朝方から姿の見えなかった一青さんが帰ってらっしゃいました。
「あら一青さん、お疲れ様です」
 そう声をかけると、一青さんはぺこりと頭を下げ、こちらへと真っ直ぐにやって来られました。
 ご多分に漏れず司様の巫女装束姿に少々ぎょっとされながら、一青さんは私に対してこう仰られました。
「このか殿、お時間を頂いてよろしいですか?」
 何やろう? 私がはあと生返事をする横で、司様が立ち上がり、こうお答えになられました。
「うむ、行くか」
 あの……当事者と思しき私が置いてけぼりなんですが?

 玄関で履物を履いていると、仕事を終えた女将さんが戻って参られました。
「あら、お出かけ? ……そう言えばそうだったわね、久し振りだわ」
 何やら一人で納得している女将さんの言葉に首肯で応え、一青さんは「夕飯までには戻ります」と付け加えました。
 司様同様、女将さんも何やら知たり顔で、やはり私一人が状況を理解できていないようでした。
 私達が神宮宿舎を離れた事を確認した女将さんが「さあ、お赤飯炊かなくっちゃ」と言っていたことは、私の耳まで届くことは、ついにありませんでした。

 一青さんに誘われ、司様と私は電車で数駅。それから徒歩で数分ほど行った、人通りの少ない路地にたどり着きました。
 まだ日も長くは無い春先ですが、薄暗い小路は、今がまだ六時前だと言うことを忘れてしまいそうな程に、深い闇を湛えておりました。
「……何か、居てますね」
「分かりますか?」
 私の呟きに、一青さんが確認するように返して来ました。
 その時私の眼には、小路の端に蠢く影が、確かに映し出されていたのです。
「一週間ほど前の話です。この小路で何者かに脚を引っ張られたという女性がおりました」
 私が見た影の居る位置を真っ直ぐに見詰めながら、一青さんは語り出しました。
「その女性は直ぐに振り向いて確認したのですが、其処には誰も居なかった……それだけならば、気味の悪い思いをしたというだけの話ですが……」
「その女性が、掴まれたという脚に怪我をされたのですね?」
 一青さんの言葉が途切れた瞬間、それを引き継ぐように私が続けました。
「流石ですね……伏見このか殿」
 何やら畏まった雰囲気に一青さんへと向き直ると、やはり畏まった一青さんの顔が其処にはありました。
「貴女には、あの霊を払って頂きたいのです」
 薄々気付いてはおりましたが、早速神社庁特別対応班としての仕事を任せられるという事なのでしょう。
 私は全身に緊張が走るのを感じました。

 

17

「そういえば百鬼、お前は“霊”と言う物が何なのかは知っているか?」
 突然、司様が一青さんに尋ねられました。
 一青さんは一瞬きょとんとしてから「実の所、正確な事は知りませんね」と、正直に答えられておりました。
 ふむ、と満足そうに頷くと、司様は短く私に呼び掛けられました。
「このか」
「あ、はい」
 司様に促され、私はいわゆる“霊”という存在を説明させて頂く事になりました。
「えーとですね。一口に霊と申しましても、実際には幾つかの全く異なる存在を一纏めにして言っている場合が多いのです」


 私達のよく知る霊と言えば、亡くなられた人間の霊体……精神体のようなものが独り歩きしているものだと考える方も多いと思いますが、それは正確ではありません。
 そもそも、人間は精神体のみで活動する事はありません。何故かと言うと、私達人間は”眼で見る事が出来、手で触れる事が出来る肉体を中枢とする存在”であるからです。一般的に精神体と思われている心的実体は、我々人間には見る事が出来ないものの、私たちを形作る肉体の一部です。中枢を失った精神は、瞳に映らないだけで、生命活動の根源を失った肉体……即ち、遺体と何ら変わりが無い物なのです。
 眼に見えず、手で触れる事も出来ないのに、確かに其処に或る。そういった存在の事を、我々人間の中枢が存在する三次元空間からは認識できない位置、または方向に存在する為、四次元。または“第四方向に積極的な関与を行える、三次元を超越した存在”とし、四次元存在と呼ばれています。


「そして、その第四次元に中枢を持つ存在が、私達が神霊と呼ぶ存在です……司様も、第四次元に中枢を持っていられるので、四次元存在という事ですね」
 私の説明で一青さんは成る程と頷いて下さったのですが、司様はそうではなかったようです。
 説明が不十分だと仰るように「で、アレはどういものなのだ?」と、問題の影を指差しました。
「肉体を失った三次元存在は、四次元に中枢を置く神霊と違い、四次元方向へと伸びる質量が単独で活動する事はありません……ですが、幾つかの例外が存在しています。それが私達が最もよく知る“幽霊”というものです。彼ないし彼女達は、亡くなる直前に非常に強い精神作用を示したが為に、三次元空間での法則を超越して、四次元方向の質量が三次元空間以外の層に姿を留めてしまっているのです」
 勿論存在するのが四次元なので、普通人間には知覚出来ないのですが、四次元方向へ伸びる質量を多く持つタイプの人間は、そういった四次元の存在を知覚する事が出来ます。分かりやすい表現をするなら“霊感が強い人間は”と言う事になるでしょうか。
 そういった方は、普通の人間よりも遥かに四次元からの影響を受け易いという事にも繋がっています。霊感が強い人間は霊に狙われ易いという理由は、正に其処が原因という訳です。
「私達人間は四次元方向に存在する自身の肉体への依存が少ないですが、やはり体の一部と言うこともあり、それを傷付けられるとダメージとして反映されてしまいます。霊に捕まれた腕や……今回の例では脚ですが……を後になってから怪我したという話がよくありますが、そういうんは、霊によって四次元方向の肉体を傷付けられ、三次元的な肉体的強度や機能までも落ちてしまい、普段よりもずっと簡単に怪我をし易くなってしまったりする為です」
 そこで、一青さんは意外そうに声を上げられました。
「それでは、この亡霊と女性の怪我は、直接の関係は無いという事なのですか!?」
 そう捉えると、神社庁特別対応班の存在そのものを否定するようですが、そうではありません。
「いいえ、ああいった亡霊は自意識を持たず、手の届く範囲にやって来た三次元存在の、四次元方向に伸びる肉体を傷付けてしまいます……下手をすると、命に関わる大事故を起こす原因にさえなり得るのです」
 それは自意識の無い通り魔にも似た存在。自我が無いからこそ、無差別に威力を振るってしまう悲しき存在。

 だからこそ……この霊はわたしが対応しなければいけないのです。
 それが、私が京都から招かれた本当の理由なのですから。

 

18

 午後六時の東京都内とは思えない程、暗く陰気な小路に足を踏み入れると、底冷えするような冷気を感じました。
 眼には映らない何者かが居る空間特有の、吸い込まれるような空気の流れが、此処にもあったのです。
「恐らくこの方は、大変恐ろしい思いをされて亡くなられたのでしょう。まるで助けを求めるように手を伸ばして、兎に角何かに縋り付こうとしているかのよう……」
 私の視線の先に蠢く影は、地に臥した人間が、手探りで何かを掴み取ろうとしているかのような姿に見えます。
 実際は目で見ている訳では無いらしいのですが、所詮は三次元の存在である私達にとって、自身の異次元存在を知覚する感覚さえ、理解する事は難しいのです。

故に、私たちは四次元の存在を知覚した際、それを便宜上“見る”と表現しています。
「肉体も意思も失って尚、救いを求めるようにこの場所を彷徨って居る……可哀相に、余程恐い思いをされたのでしょう」
 地縛霊の名で知られるこう言った亡霊は皆、多かれ少なかれ憐れな最期を迎えているものなのです。私はそっと掌を合わせると、白衣の袖に手を入れ、その中にある物を掴みました。
「さて、どの道そやつに意識は遺っておらぬが……このか。お前ならどうする?」
 司様の声を背中に受け、私は更に一歩、また一歩と影に向けて足を進めました。
 やがて影が私の存在に反応するようにこちらを向きました。これ以上近付けば、四次元方向の肉体を掴み取られてしまうでしょう。
 私は袖から手を抜き出すと同時に、其処に収められていた神器“八乙女”を取り出しました。
 一見するとただの薄い反物。薄紅色の光を透過するような美しい羽衣であるそれは、司様の手で作り出された四次元の質量を持つ特殊な反物です。
 三次元からも四次元からも同じように触れる事が出来るため、異次元の相手にそれを介して触れることも、逆に四次元方向からの干渉を防ぐことも可能という代物です。
 八乙女に空気を含ませるように空中に広げ、片腕に巻き付けるようにして引き寄せると、八乙女は私の動きに合わせてしっかりと利き腕を護ってくれているようでした。
 私はその場で片膝をつき、八乙女に鎧われた手を、影へと差し延べました。
 次の瞬間、影が私の腕を強い力で掴みました。
「伏見殿!」
「待て!」
 一青さんが慌てて駆け寄ろうとしたのでしょう。声を上げられたところ、直ぐに司様の声がそれを制しました。
 私の腕を掴む力は本当に強く、まるで万力に挟まれたようにギリギリと締め上げられる感覚を覚えました。
 それほど強く、影は救いを求めながら亡くなられたのです。
「もう……大丈夫ですよ」
 私は言い聞かせるように呼び掛け、そして八乙女の端を逆の手で掴むと、それを一気に引き上げました。
 すると、私の腕を強い力で掴んでいた影の腕が、するりと解かれました。
 八乙女が風に舞い上がるかのように膨らみ、同時に影も空中へと掬い上げられたのです。
 空に引き上げられた影は地上に戻ることは無く、空中に霧散して行きました。

「終わりました」
 八乙女を収め、私は司様と一青さんの方へと向き直りました。
 司様は相変わらず涼しいお顔をされていましたが、一青さんはようやく緊張から解放されたという顔をされました。
「ご苦労だったな、このか」
 先に仰られたのは司様でした。
「しかし、降魔印で消し飛ばす事も出来た筈……何故そうしなかった?」
「それは……あの方は“手を引いて欲しかった”のだと思ったからです。最期の最期で、ただ手を引いて、救い出し欲しかったのだと」
 力を以って消滅させる事は、確かに難しくはありません。ですが、例え意思を持たない形骸だとしても。私はそれを力ずくで廃除する気にはなれなかったのです。
 ふむ、と司様は頷き、一青さんの方へと向かれました。
「どうだ? 我が巫女は」
「想像以上……実にお見事です」
 司様の問い掛けにそう答えると、一青さんは私の方へと向き直り、居住まいを正し、告げられました。
「伏見このか殿。我々神社庁特別対応班は、貴女を歓迎します……ようこそ、神社庁へ」

 

19

「ようこそ、神社庁へ」
 一青さんはそう言って、懐から一本の帯を取り出し、私へと手渡しました。
「これは我々特別対応班の……いわば警察手帳のような物ですね。神社庁特別対応班の者でなければ身に着ける事は許されず、逆に特別対応班の者ならば、身に着けていなければいけないものです。どうぞ、お受け取り下さい」
 本来ならば、此処で少し躊躇ったりするものなのでしょうか? 初めからそのつもりで来た私には、そういった感情が無かったため、よくは分かりません。
 ただ……この瞬間から、私は伏見稲荷の巫女ではなく、神社庁の特別対応班の一員になるのだと思うと、何だか少し寂しい気もしました。
 一青さんの手の下に自分の両手を差し出すと、特別対応班の証が、私の掌にそっと移されました。
「……ありがとう、ございます」
 嬉しさ半分、寂しさ半分のこの気持ちは、私を卒業式に臨むかのような心持ちにさせたのでした。

 帰路では、一青さんは上機嫌で、昨日とは打って変わり、よくお話しになられました。
「自分はそれなりに長く、特別対応班として働かせて頂いて居るのですが、自分は本当に何も知らないままで居たと、ひどく痛感させられました」
 先程の四次元存在に関する話に興味を持たれたようで、今までああいった霊に対し、ただ機械的に斬る事しか出来なかった自分が恥ずかしいと仰っておられました。
「別に恥じ入る事はないぞ、お前のように切り払う事も、このかのように浄化させるのも結果は何一つ変わらぬし、第一奴らには感情というものが遺っていない。気遣うだけ無駄だ」
 そう司様はフォローを入れられたのですが、それでは逆に、私の立つ瀬が無いです。
「まあ、確かに肉体と同時に意識を失った存在やから、心情を慮る意味も薄いのかも知れまへんけど。それでも、最期の意思が遺っているじゃないですか?」
「それは意思などではなく、感情の影が焼き付いただけだ。生まれた時からお前達の次元とズレた層に存在する者ならいざ知らず、人間が肉体を失って四次元の質量だけを遺したのならば、それはやはり心を持たない形骸だ。非想非非想処天は、人間にとっては死でしか無い」
「せやけど、その死の世界に住まう存在を理解しようと、昔の人は非想天という言葉を作らはったのですよね?」
「そうだ、人間が至る事は出来ぬ世界を知ろうとし。唯一行き着ける方法が……さっき見て来たアレだ」
「むぅ……」
 以前より問答で司様を言い負かした事が無い私ですが、やはり今回も反論の糸口を失ってしまいました。
「あの……」
 不意に一青さんが口を開かれました。
「申し訳ない、何の話で揉めておられるのですか?」
「あ、お構いなく、別に喧嘩している訳ではありませんので」
「疑問に思った事は何でも確認するよう仕込んであるだけだ。気にするな」

 神宮宿舎に帰り着くと、何やら随分と賑やかな様子です。
「ただいまもどりましたー」
 大声で呼び掛けると、居間の方から何人かの方が顔を覗かせました。
「おっ、主役のお帰りだ」
 宮司様がそう仰ると、居間から次々と人が出て来て、たちまち私達は取り囲まれてしまいました。
「おめでとう、このかさん」
「このかちゃんオメデトー」
 口々に告げられる祝福の言葉に、私の頭は混乱しました。

ですが、今日ここまでの流れを省みると、段々とこの祝福の意味が分かって参りました。

「もしかして……皆さん、私を待っていて下さったのですか?」
 今日の、私が特別対応班として認められるか否かの試験を終え、新たに神社庁の一員として戻ってくるこの時を……
「このか、こやつら確実に先に始めておったぞ」
 そんな司様の言葉を聞き流し、通された居間の上座に座らされ、昨日に引き続き沢山のご馳走を目の前にして、そして祝福を頂く。
「ほら、今日の主役の挨拶が未だだよ、ささ、このかちゃん。立って立って」
「えぇっ、私挨拶なんて……」
 私の悲鳴もどこ吹く風と言わんばかりに、皆さまは大盛り上がりです。誰もが優しく、心から祝福してくれているのが分かりました。
 そんな私が返せる言葉など、一つしかありません。
 神社庁の仲間たちを前に、私は立ち上がり、何も持っていない右手にマイクを持つジェスチャーをしながら、覚束ない様子でこう切り出しました。


「えっと……ありがとうございます」

 

 

 

  Dimension Force –狐火の巫女- 了 

 

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