Dimension Force

〜神剣の担い手〜

5

 突如として路地裏から飛び出して来た人物に対し、百鬼は反射的に身を交わし、やはり反射的に体崩しを仕掛けていた。
「うわああぁっ!?」
 情けない悲鳴をあげ、その人物は歩道へと不様に投げ出された。
 薄暗い街灯に照らし出されたその姿は、何と言うことはない。髪を茶色に染めた、どこにでも居るような少年であった。
 だがそれを見て、百鬼はしまったと思った。
 公務員や格闘技の選手ではないが、神社庁特別対応班の人間は、一般人に危害を加えてはならないという決まりがある。理由は、百鬼が所持を許されている腰の物を見れば明白だろう。
「済まない、大丈夫か?」
 少年を助け起こそうと百鬼が手を差し延べると、少年は文句を言いたげな眼を百鬼に向け、そしてその表情を凍り付かせた。
「ひっ! か、か、カタナぁ!?」
 声を裏返らせながら、少年は尻餅をついたまま後退り、バランスを崩しながらも走り去ってしまった。
 そんな様子をぽかんと見送って居たが、やがて少年の飛び出してきた方へと視線を向けると、百鬼は音もなく路地裏へと駆け込んで行った。


 ビルの狭間。路地裏にぽっかりと空いた空間に、男は居た。
 長い外套を纏うその男の足元には、二つの死体が転がっている。どちらもチンピラ風の若者で、袈裟掛けに一刀両断されたことは、男が提げる血染めの軍刀からも明らかだった。
「…………」
 男は無言のまま二度三度と刀を振り、掌の中で一回転させると、そのまま右腰の鞘に、やはり右手で納めた。
「あーあ、やっちまったな」
 夜の路地裏に若い声が響いた。男は何も無い空間に眼を向ける。
「……国綱か」
 その言葉に呼応するかのように、闇の中から闇色の学生服に身を包んだ少年が姿を現した。
「山下少将。あまり騒ぎになるような事をしてくれるなって言った筈だが?」
 国綱と呼ばれた少年は、自分の倍は年かさもあろう外套の男に、まるで子を叱る親のような口調でそう言った。
「先に仕掛けてきたのは、そいつらの方だ」
 対する外套の男は、憮然とした表情を作り、非を認めようとはしない。
 国綱はやれやれと肩を竦めると、今度は諭すような口調で語りかけた。
「こんな奴らが何人死のうが、一向に構いやしないけどな。俺達には、大事な目的が有るってことを、忘れないでくれよな」
「…………」
「約束の日まで後僅かだ。一週間我慢してくれりゃ良い。そうしたら、アンタの願いも叶う……そうだろう?」
「…………」
 国綱の問い掛けに、男が応えることは無かったが、その真一文字に結ばれた口許からは、男の心情が確かに伝わって来た。
「まっ、過ぎた事をネチネチ言っても仕方が無いか。急いで別の隠れ家を探そう」
「これはどうする」
 早速背を向けかけた国綱に、外套の男が問い掛けた。顎で指し示すのは、己が切り捨てた二つの肉塊だ。
「今更死体の一つや二つ、増えた所で大差ないさ。そんな事より、今は急いで隠れる場所を探そう……次は俺達の“目的”を果たすまで、しっかり隠れて居てくれよ」
「うむ、分かった」
 国綱の言葉に頷いて返し、外套の男はその背中を追って歩き出す。

「その話、少し詳しく聴かせて貰おうか」
 今正に闇に紛れようとしていた二人の背中に、新しい声が投げ掛けられた。
 ぴたりと足を停め、二人はゆっくりと振り返る。
「あーあ、出会っちまった……か」
 声の主を横目で認めた国綱は、微かに唇の端を歪めながら呟いた。
 視線の先にあるのは、平成の御世にはおよそ似つかわしくない、陣中羽織を纏う剣士の姿だ。
「……何者だ」
 外套の男が鋭く問い掛けると、剣士は右手を刀の柄に沿え、短く名乗りを上げる。
「神社庁、特別対応班。一青百鬼」 

 

6

(カーキ色のマントに軍人風の帽子。一応証言通りか……)
 目の前に佇む男の印象と通り魔事件の目撃証言を照らし合わせて、一青百鬼は内心大いに驚いていた。まさか証言通り、特徴的過ぎる出で立ちで居るなどとは夢にも思わなかったのだ。
「……神社庁?」
 男が訝しげに眉を顰める。
「ああ、戦後に出来た特殊機関だよ……あんたの同類さ」
 国綱が注釈を加えると、外套の男は得心顔で頷いた。
「ふむ、成る程な」
 そして百鬼へと完全に向き直り、男は外套の下で右腕を動かす。その様子から男の意図を読み取ったのだろう、国綱が苛立たしげに声を上げた。
「おい、何をするつもりだ山下少将」
「今更死体の一つや二つ、大差ないのだろう?」
 自分と同じ剣士を前に、闘争本能に火が点いたと言うところか。百鬼の眼を真っ直ぐに捕らえ、男はニヤリと笑みを浮かべる。
「期待してはいなかったが、任意同行はして貰えそうに無いな」
 確認するように言い、百鬼は刀の鞘を掴む。何時でも抜刀が出来る姿勢をつくり、相手の出方を伺っているのだ。
「貴様も剣士ならば、これで問うが良い」
 そう言い放つと、男は右手を振り上げた。腰の軍刀が真っ直ぐに引き抜かれ、頭上で半孤を描き、順手に握られた。
「……剣士と言うならば、貴様も名乗って貰おうか」
 男の不思議な剣捌きに意表を突かれながらも、少しでも多くの情報を引き出そうとしたのだろう。随分と時代錯誤な物言いになってしまったが、百鬼は男に言った。すると、男は楽しそうな笑い声を漏らした。
「ハハッ……それもそうだ!」
 愉快そうに頷き、掲げた軍刀を真っ直ぐに百鬼へと差し向け、男は名乗りを上げる。
「我が名は山下焔群(やました ほむら)。一青百鬼……いざ、尋常に勝負!」

(山下焔群と……向こうの少年は確か国綱と呼ばれていたか)
 自分が対峙している相手の名を脳裏に刻み込むと、百鬼は瞬時に外套の男、山下焔群へと意識を集中させた。
 いくら勝負を挑まれたからといって、まさか切って捨てる訳にも行かない。上手く生け捕りにしようと、百鬼は考えていた……が、次の瞬間には、その考えを改める事になった。
 片手で軍刀を構えた山下は、半身の姿勢のまま、一直線に百鬼へ向かって走った。
 日本伝統の剣術しか経験の無かった百鬼にとって、それは異様な動きと言えた。
「ハッ!」
 裂帛の掛け声と共に、空気を切り裂く鋭い突きが繰り出される。後ろ脚で踏み切り、右の踏み込みと同時に繰り出された刺突を、百鬼は慌てて抜き払った刀で弾く。
 咄嗟の居合抜きで十分な力が乗っていなかったものの、山下焔群の剣は勢いよく弾かれた……が、山下は弾かれた勢いそのままに、踏み込んだ右足を軸に身を翻し地上に満月を描く。
まるで踊っているかのような、優美さすらを感じさせる動きで繰り出された横薙ぎを、百鬼は鞘を盾にする事で防ぐ。
 金属音が裏路地に響き、二人の剣士は素早く間合いを取る。
(……危なかった)
 表情からは読み取る事が出来ないが、百鬼は内心で肝を冷やしていた。
 今の斬撃は、板金で補強された鞘でなければ、確実に切断されていたであろう威力があった。
 その証拠に、百鬼の鞘はその半分以上に亘る大きな亀裂が入り、刀を収められる形状を留めてはいなかった。
(ただの軍隊かぶれでは無いようだな……)
 ひしゃげた鞘を投げ捨てようとして……捨てずに百鬼は言った。
「……今度はこちらから行くぞ」
「良かろう」
 山下が腰を沈めるのと、百鬼が動くのはほぼ同時だった。
 片手に持っていた鞘の残骸、それを百鬼は一辺の躊躇いすらも見せず、山下へと投げ付けた。
 山下がそれを交わそうと身を屈めた瞬間、投擲と同時に走り始めた百鬼が其処へ殺到する。
 振り下ろされた斬光は山下へ届く直前に火花へと変化すた。同時にその運動エネルギーは甲高い金属の激突音に変貌を遂げ、夜のオフィス街へと響き渡った。 

 

7

 体重を乗せた大上段からの唐竹を放った百鬼に対し、山下焔群は右手に握った軍刀の背を肩に預け、全身でそれを受け止めていた。
 肩の筋肉に負担を掛ける受け方だが、力で劣る者が取る策としては、まあ悪くは無い。
 ただし、あくまでも山下の膂力が百鬼に大きく劣るとすればである。
 上から押さえつける百鬼に対し、山下はそれを担ぐような体勢で堪えている。姿勢から言えば、百鬼が大きな有利を勝ち得ている状態にある。
 しかし、両者はその姿勢で膠着した。
 正確には、互いに力を込めてギリギリと競り合っている状況だが、有利にあるはずの百鬼もそこから攻め立てる事が出来ずに居た。
「……どうした、一青百鬼?」
 じめじめとしたアスファルトに片膝をついたまま、余裕たっぷりの声で山下が問いかける。
 百鬼は答えない……が、山下はその理由を理解していた。
「この体勢から反撃に転じる事は出来ない。今仕掛ければ私を殺せるぞ?」
「…………」
 ぐっと眉根を寄せ、百鬼は刀を強く押し込んだ。山下の言う通り、例えばこのまま一気に薙ぎ払うだけで、彼の頭を真っ二つに出来る筈だ。
 だが、百鬼はそうせず、敢えてそのままの姿勢を保っていたのだ。
「難儀なものだな。殺さずに捕らえねばならぬと言うのも」
 ついと視線を外したかと思うと、山下はふっと笑みを漏らした。その様子に百鬼が訝しんだ刹那、全身のばねをもって山下が跳ね起き、勢いそのままに百鬼を弾き返した。
 「ハッ!!」
 鋭い気合と共に軍刀が振るわれる。咄嗟に刀を身に寄せてそれを凌ぐも、百鬼の体勢はぐらりと揺らいだ。
 しかしそれも一瞬。百鬼は即座に体勢を立て直すが、山下はそんな僅か一瞬の隙をも見逃さず、迅雷の突きを繰り出していた。
 受けようにも今からでは間に合わない。反射的に身体の軸を逸らし、百鬼は自らも右腕一本で刀を突き出す。
 二人の剣士が交差した。
 山下の剣は百鬼の胸を薄く切り裂き、百鬼の刀は焔群の左腕を貫く。
(捉えた)
 百鬼が勝機を手繰り寄せた……かに見えたが、同時に山下の外套が切り裂かれ、その身体を月下に現す。
「……残念だったな」
「!?」
 完全に交差しきった二人が向き直る。そして百鬼はそこに在るはずのものが無い事に……そして山下焔群がなぜ斯様な異形の剣技を操るのかも、同時に悟った。
 山下の身体を隠す外套、その左半分が切り裂かれた事によって、これまで一切使われる事が無かった左腕が顕わになっていたのだ。
 正確には、山下の左腕が既に失われていた事を示す、がらんどうの袖が。
「こちらの腕は今切らしていてな」

 百鬼は動揺を隠せずに居た。左腕を使わない事には気付いていたものの、まさか腕そのものが無いとは思いもしなかったのだ。
 だが、己が身を削るが如き山下の剣の受け方には合点がいった。両手で扱う刀を片手剣で制することは困難だ。
 たとえ技量が拮抗していようとも、身体に掛かる負担を鑑みれば、百鬼にとって圧倒的に有利な状況と言える。それを交渉の材料と判断した百鬼は、一旦構えを解きこう切り出した。
「山下焔群。右腕一本で戦い続ける事は出来まい。大人しく同行してくれれば処遇は考えるが、どうか?」
 その申し出に、山下は暫し黙って百鬼の目を見つめていたが、僅かに俯きその目元を隠すと、ふっと小さく息を漏らした。
 そして視線を外す。
「どう思う、国綱?」
 山下はビルの外壁にもたれ掛かり、二人の大立ち回りを見守っていた少年へと問いかけた。
「あんたの好きにすりゃいいさ」
 少年の声はぶっきらぼうで、興味無さ気とも取れる程あっさりとしたものだったが、山下は満足気に頷き、再び百鬼へと向き直った。
「悪いな、交渉決裂だ。恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思い、愈々奮励してその期待に答えるべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ……と言うだろう?」
 そう言うと、山下は剣を構えなおし、こう付け加えた。
「生け捕りなどと生ぬるい事を考えていると……死ぬぞ」 

 

8

 手加減が出来る相手でない事は、今正に刃を交えている百鬼が一番良く分かっている。
 目の前の男、山下焔群はただの猟奇殺人犯ではない。れっきとした、それも凄腕の殺人剣の使い手である。
「……来ないならこちらから行くぞ」
 動けないで居る百鬼に痺れを切らせたのだろうか、山下はそう言い放つと、弾かれた弾丸の如き勢いで百鬼へと殺到した。
 百鬼は向かって左から薙ぐようにして山下の剣を弾くと、素早く背後に回り込んだ。が、山下の反応はそれ以上に機敏であった。
刀を弾かれると同時にその場で跳躍した山下は、百鬼の横薙ぎの勢いを利用して、空中で姿勢を180度変えた。最初に切り結んだときと同じ技で、背後に回り込もうとする百鬼を一瞬で正面に捉える
 その奇天烈な動作を前に、百鬼の反す刃が一瞬遅れた。
 カンと竹を割ったような音が響く。
「ほう……悪くない判断だ」
 百鬼の顔面目掛けて斬撃を打ち込んだ山下が楽しげに口角を吊り上げる。
その剣先は百鬼の刀の柄部分にめり込んでいた。刀身で受けることが出来ないと判断した百鬼は、咄嗟に剣の柄を盾にしたのだ。
 柄を握る両手の、僅か十センチ足らずの隙間で亜音速の斬撃を受け止めた百鬼を目の当たりにして、山下は驚きつつも嬉しそうな笑みを浮かべる。
「この時代にも、貴様のような剣士が居たとはな」
「時代? お前は一体……」
 山下の独白に、百鬼は違和感を覚えた。
 剣の腕……自分から仕掛けていながら、反撃の暇を与えぬ攻防一体の剣術といい、この男からは現代の人間とは一線を画した何かを感じた。
 だが、百鬼の言葉を詰まらせたのは別の事である。
 ちらと山下の剣先を見遣ったとき、百鬼は信じられない事実と直面したのだ。
「な……なんだと?」
 切れ長の双眸がみるみる見開かれ、その表情は驚愕の一色に染まった。
「その刀……いや、刀ではない。竹光だと!?」
 竹光……芝居の小道具として用いられる、竹で造られた刀である。
 見た目こそ真剣そっくりに拵えてはあるものの、およそ真剣との打ち合いに耐えられる代物ではない。
(いやそれ以前に、切り結んだ瞬間、確かに真剣と打ち合った手応えを感じた)
 目の前で自らの刀の柄に食い込む竹光を凝視して、百鬼は言い知れぬ不安と恐怖を感じていた。
 それは、人間が理解も及ばぬ怪異に畏れ戦く感情そのものであった。
「どうした、顔色が青いぞ?」
 山下の言葉にハッと正気を取り戻すも、次の瞬間には、振り抜かれた剣圧によって百鬼の身体が押し戻されていた。
 よろめく百鬼に、山下の鋭い斬撃が浴びせ掛けられる。百鬼もほとんど無意識に刀身を起こし、それを受けようとする。しかし……

 キィィン……

 電撃のような鋭く激しい衝撃と、甲高い金属音。
 それらが瞬間に過ぎ去ると、次に百鬼の眼に飛び込んできたのは、空を舞う愛刀の刀身であった。
 残響の中、真っ二つに折れた真剣が地面に落ち、カーンという乾いた音を立てた。
 百鬼は咄嗟に跳び退き、山下はそれを眼線だけで追う。
「馬鹿な……こんな、俺の剣が?」
 信じられる筈が無い。なにせ百鬼の剣は、正真正銘の真剣なのだ。それが刃の無い……ましてや金属ですらない竹光に斬られるなど、有り得る筈が無いのだ。
 じゃりと、山下の軍靴が熱いアスファルトを鳴らす。
 ぐっと息を詰まらせ、しかし百鬼は戦意の失われて居ない瞳を山下へと向けた。
 ……だが、この剣でこれ以上戦うことは出来ない。
 百鬼は苦渋の表情で闇へと飛び込み、姿を隠した。

 地面に落ちた百鬼の剣先を拾おうとする山下に、ずっと傍観していた国綱の声が掛けられる。
「満足したか?」
 山下はその問い掛けには答えず、拾い上げた刀をまじまじと見詰める。
「善い刀だ」
「は?」
「この刀だ。よく手入れがされている……恐らく、身を呈して主に危険を伝えたのだろう」
 うっとりした目付きで自らが斬り飛ばした刀を見詰める山下に対して、国綱は呆れたと言わんばかりに大仰な溜息をついてみせる。
「そんな事言ってないで、早く行くぞ。一体誰の為にこんな苦労してると思ってるんだ」
「ふふふ、すまんな」
 気持ちの篭らない謝罪をしつつ、山下は折れた刀を投げ捨て、国綱の後を追った。

 

9

 空が白み始めていた。
 不夜城都市東京も、何だかんと言っても夜間の人通りは少ない。
 それでも幹線道路の通行料だけは多いが、裏道や歩道を歩く者の姿などは殆どなかった。強いて言うなら、時折酔っ払いが道端に転がっていたりする程度だ。
「夜中だって人が溢れてる所は溢れてるけど、ちゃんと場所を選べば人が居ない場所っていうのは案外あるもんなんだぜ」
 人目を避けながら、ビルとビルとの間を縫うように移動する影のひとつが自慢げに言った。
 薄ぼんやりとした街明かりに照らし出されたその姿は、山下焔群に食事の世話をしていた少年、国綱のものだった。
 国綱は小脇に襤褸切れと化した焔群の外套を抱え持ち、先導をしている。
「……聞いているかい?」
 反応がないことに気を悪くしたのか、国綱はそういって後続へと目を遣る。
 ビルの壁にもたれ掛かりながら、山下は辛そうな視線を国綱へと返した。
「ああ……すまん、何だ?」
 顔中に汗玉を浮かべ、苦悶の表情を作るその姿は、先程百鬼を手玉に取っていた男とは思えない様相であった。
「おい、大丈夫か? 怪我でもしていたのか?」
 あわてて山下に駆け寄りながら、国綱は心配そうに顔を覗き込む。
「心配ない。心配は……要らない」
 国綱に答えるというよりは、自分に言い聞かせるように山下は呟く。壁に突いた手は小刻みに震えており、とても心配無用には思えないが、国綱はそうかと伸ばしかけた手を下ろした。

 ペットボトルのミネラルウォーターを煽り、山下は大きく息を吐き出した。
「少しは落ち着いたかい?」
 空のコンビニ袋を片手に、国綱が聞いた。
「ああ。世話を掛けるな」
 ボトルを持ったままの手の甲で器用に口元を拭い、息を整えてから山下は答える。
「気にしないでくれって、アンタにはまだ生きててもらわなきゃならないんだ。あともう少しの辛抱なんだからな」
 意味深な台詞を吐きながらも、国綱は山下へと微笑み掛ける。山下は自嘲気味に笑みを漏らすと残りの水を一気に飲み干した。
「この命も長くは持たんだろうが……どうせ消える運命だ。有意義に使わせてもらう」
 虚空を睨む山下の眼は猛禽のそれのように鋭く、ギラギラとした覇気を取り戻していた。
 彼の言葉をそのままの意味で捉えるならば、それは死を覚悟した侍の眼にも見える。
 そんな山下の眼を見て、国綱は満足そうに頷く。
「そう、俺達にしか出来ない事を為すために、俺達はここに居るんだ。この国をあるべき姿に戻すために」
「そうだ。その為の捨石になれるのならば、私は喜んでこの身を差し出そう」
 空のペットボトルを投げ捨て、軍刀を模した竹光を杖にして、山下焔群は立ち上がった。 

 

10

 その日は正しく夏日であった。
 情け容赦無く照り付ける日差しと蝉時雨が、人々の平衡感覚までも奪い取ってしまうかのように、道行く人はみな太陽を避けて休み休み日陰を伝い歩いていた。
 そんな中、真夏の直射日光をものともせずに、明治神宮の表参道を闊歩する男が居た。
 がっしりとした体躯をくたびれたワイシャツに包み、参道の中心を歩くその男には、一般人とは違う“凄み”のようなものが感じられる。
 坊主刈りの頭にサングラスをかけた風体はとても堅気の人間には見えず、それでいて丁寧な手つきで細長い白木の箱を捧げ持つ姿は、もはや異様としか表現のしようが無かった。
 男がやって来たのは、一般には解放されていない神宮宿舎の前だった。
 男は木箱を片手に持ち直すと、インターホンを押した。
 僅かに間をおいて玄関の戸が開かれると、其処には艶のある着流し姿の女性……阿傍閻の姿があった。
「お待ちしておりました、雪峰様」
 深々と頭を下げる閻に対して、男はサングラスを外すと表情を一変させ、にこやかな笑顔をつくってこう言った。
「やあチマちゃん。相変わらずセクシーだね」

 応接間には一青百鬼の姿があり、大名行列に遭遇した農民の如く平身低頭の姿勢で固まっていた。
「…………」
 雪峰は勧められた上座の席には着かず、百鬼の前に立ち、彼と彼の前に置かれた刀を静かに見下ろした。
 刀身の中心で真二つに折れた刀が、白い布の上に横たわっている。
「手酷くやられたもんだなぁ……ええ、百鬼?」
「申し訳ありません」
 雪峰の一言に、百鬼は額を畳にこすりつける勢いで土下座をした。
 しかし雪峰はそんな百鬼を一瞥しただけで視線を外し、刀を手に取ると、その断面を真剣な目付きで見詰めた。
「百鬼……コイツを斬ったのは真剣じゃなかったそうだな」
「ハッ。相手の得物は竹光でした」
「真剣どころか、模造刀ですらねえか……」
 小さく呟き、膝立ちだった雪峰は漸く畳に腰を降ろした。用意された座布団の上にではなく、百鬼の目の前。刀の置かれていた布を挟んで対面する形で、両者は向かい合う。
「断面が殆ど変形してねぇな」
「どういう事ですか?」
 雪峰の言葉に、傍らに立っていた閻が覗き込んだ。
「撃ち合いで折られた刀は、普通表面のマルテンサイト鋼が砕けて、それから心金が折られる。故に破断面は変形し、滑らかな断面にはならないんだ……これを見てごらん」
 そう説明をし、雪峰は刀の断面が閻によく見えるように摘み上げて見せた。
「なめらか……ですね?」
 実際のところ、よく分からなかった……そもそもマルテンサイトという単語の意味がちんぷんかんぷんだったのだが、とりあえず閻はそう答えた。雪峰も深く頷いているので、期待されていた答えを返せたのだろう。
「そう。つまりこれは、コイツよりも遥かに切れ味の鋭い何かに“斬られた”んだ」
「刀が……斬られた?」
 鉄で造られた日本刀が斬られるなど想像もつかなかった閻には、雪峰のその言葉は他人事ながら衝撃を与えた。
「理屈上では、日本刀ならば鉄を切り裂く事も可能です。しかし……」
「そう、コイツに事関しては話が違ってくる。何せ相手は竹なんだからな。」
 百鬼の言葉を継ぐように、雪峰は本題に切り込んだ。
「竹で鉄が切れる筈がねぇ。とどのつまり、ソイツにはでけぇ仕掛けがあるってこった」
 当然何か掴んでいるんだろうな? 百鬼を睨み付けるような雪峰の視線には、そのような言魂が篭っているように感じられる。
 百鬼もそれを感じ取ったのだろう。雪峰の視線に小さな首肯で返し、こう続ける。
「剣を交えた瞬間、奴の刀が薄い光の膜のようなものに覆われているのが見えました……恐らく、それが仕掛けの正体です」
「剣を光が包み込んだと言う事ですか?」
 指先で下顎を叩きながら、閻が首を傾げた。
「ディメンションフォースで剣をコーティングしたんでしょうか?」
「どちらかと言うと、元々刀と重なっていた何かが、我々のこの次元に表出して来たという感じでしたね」
 百鬼の証言に、雪峰はふむと唸った。
「異次元の刀か……どちらにしろ相手がディメンションフォースの持ち主ってことは動かねぇみてぇだな」
 自身の頭の中で情報を整理しているのだろう、雪峰は再び折れた刀へと視線を落とす。
「物質体を持たずに北斗丸をこうも綺麗に切断出来るとなると……生半可な霊刀じゃねぇな。犯人について、何か情報はねぇのか?」
「本人は山下焔群と名乗っていましたが……」
 雪峰の問いに答えつつ、百鬼は閻へと目配せをした。
「調べてみたところ、山下焔群という人物に関する情報は、少なくとも神社庁のデータベースには存在していませんでしたし、帝国時代の日本軍の中にも、焔群という名は確認できませんでした……山下は沢山居ましたけどね」
「恐らく偽名なのでしょう、山下少将と呼ばれていましたが、それも……」
 閻の言葉を再び継いで、百鬼が結論付けようとしたとき、否と雪峰がそれを制した。
 何事かと眼を丸める百鬼と閻に、雪峰は沈重な面持ちで告げた。
「山下焔群という帝国軍人は実在している……いや、実在していた」 

 

11

「山下焔群って人物は大戦時、陸軍で歩兵旅団を率いていた男だ」 
 雪峰の言葉に、百鬼と閻は眼を丸めた。 
「でも、だったら何故彼に関する記録が残っていないんですか?」 
 事前に阿傍閻は山下焔群という人物について調べていたが、軍関係者の名簿の中にその名を見付けることは出来なかった。 
 終戦後六十年以上経過した現在では、当時の資料すべてが公開されている筈だというのにである。 
「そいつは簡単な理由だよ」 
 雪峰は人差し指を立て、そう言った。 
「山下焔群が率いていたのは、ディメンションフォースを持つ者達で構成された対人特化のゲリラ部隊だったからだ」 
「ディメンションフォース……」 
「まさか! そんな事が許される訳が……」 
 閻は信じられないという風に困惑の色をあらわにしたが、すぐに一つの答えに行き着いたのだろう。言葉を詰まらせ、眉をひそめた。 
 ディメンションフォースを持つ者達による部隊。それは即ち、神の領域の力を戦争に利用したという事だ。 
 神社庁特別対応班の仕事の一つに、ディメンションフォースを持つ者を発見した際、可及的速やかにその身柄を確保するといったものがある。 
 ディメンションフォースは、扱い方によってはなんの痕跡も残さずに人を殺すことさえ可能な性質を備えている。そのような力を持つ者を野放しにしないために、神社庁以下、ディメンションフォースに関わりの深い幾つかの組織によって、能力者を管理しているのだ。 
 特別対応班はそのような組織に属していない能力者を発見した際、その身柄を確保しなければならない。 そして、万一能力者が攻撃を仕掛けてきた場合に備えて、特別対応班は武器となる物を携行、場合によっては使用する権限が与えられている。 
 それ程までに危険視されている力である。現在では国連によってディメンションフォースの軍事的利用は全面的に禁止されている。 
 そんな理由から、日本としては斯様な部隊の存在を明るみに出したくないという思惑があったのだろう。 終戦直後ないし戦時中から、山下焔群率いる歩兵旅団の存在は明文化されること無く、公然の秘密として扱われていたのだろう。
「山下焔群の率いた部隊には、日本中から掻き集められた能力者と、日本中から掻き集められた名刀が配備された。その中から四次元の質量を伴う霊刀を見つけ出し、武器としたんだ」 
 ディメンションフォースの軍事的配備が進んだ国は例が無い。それはディメンションフォースというものが万人に扱える道具としての側面を持たない為、安定した兵器として機能しない事に起因する。その力を軍事利用していたとなると、それは即ち、日本軍はディメンションフォースを安定した兵器として扱うのではなく、神の領域に踏み込んだ能力者そのものを武器としていたという事を意味する。 
「ある意味刹那的で日本らしいとも言えるが……この考え方は今現在、世界で最も危険視されている能力者の扱い方だ。 そんな事をやっていたと知られりゃあ、お国の立場も悪くならぁな」 
人権、人としての尊厳、人間兵器と言う存在の倫理的問題。ディメンションフォースの兵器利用に際してあげられるであろう批判は、枚挙に暇がない。
 そんな情報が世界に発信されるような事があれば、日本は徹底的に干される事になるだろう。

 蝉時雨の降り注ぐ神宮宿舎で、一青百鬼は神妙な面持ちで呟いた。 
「やはり、山下焔群の本当の剣は霊刀という事でしょうか」 
「通り魔が本当にあの山下焔群なら、間違いなくそうだろうな」 
 どうやって甦ったのかはわかんねぇけどな。と漏らしながら、雪峰は白木の箱を正面に置いた。 
 ゆっくりと蓋が外されると、中からは布に包まれた細長い物体が姿を現した。 
 丁寧な手つきで取り出し、雪峰は布を解く。 
 布に包まれていたのは細やかな刃紋を持つやや大振りな日本刀の刀身である。 
「霊刀に打ち勝つには、最低でもそれと同等の刀が必要だ……百鬼、お前ェにこの霊刀金剛丸を預ける。先代が二十年間鍛えつづけた業物だ」 
 刀匠、第二十三代目雪峰に差し出された金剛丸を、真正面に見詰め……やがて百鬼は頭を低く低く下げた姿勢で、捧げ持つようにして金剛丸を受けとった。 
「……次は勝って見せろ」 
「はっ!」 

 

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