Vanishing Ray

Prologue

 

――マルクティス暦一八六〇年。ダガー島。

 島の農村から離れた山中を、武装した数人の男たちが練り歩いている。歩みを進めるたびにびびり音を立てる甲冑に施された剣の紋章は、彼等がホルデイン王室直轄の騎士であるという証拠だ。
「モンスターの凶暴化なんて、別に珍しい話って訳でもないと思うんですけどねぇ?」
 降り注ぐ春の陽気を鎧越しでしか浴びる事が出来ない事に対する不満か、柔らかな日差しを手の平で遮りながら忌々しげに呟いたのは、一団の中でも一際幼さが目立つ、少年と呼んでも差し支えないような容姿の騎士だった。
「大体、実質支配していると言ったって此処はホルデインの正式な領土じゃないんでしょう。何で俺達王室騎士団が駆り出されなきゃならないんです?」
「口を慎め、新入り」
 少年騎士のぼやきを低く、しかし良く通る声で大柄な壮年騎士が諫める。ちらと寄越した視線が厳しいものであったため、少年騎士は思わずその身体を強張らせた。
「我等王室騎士団が派遣されたという事は、一般兵士……ましてや冒険者崩れの賞金稼ぎどもでは役者不足と判断された為だ。今回の調査、相応の危険が伴うと覚悟しておけ」
「……ハッ。失礼しました、隊長殿!」
 騎士隊長の言葉に、少年を含む王室騎士団の調査隊一同はきびきびとした所作で敬礼した。

「隊長!」
 調査隊が歩みを再開して間も無く、周辺を警戒していた隊員の一人が声を上げた。
「どうした、何か見つけたのか?」
「はい、恐らく近隣の住民を襲ったモンスターが残した痕跡かと」
「よし、案内しろ」
 短い問答の後、一行は隙の無い動きで茂みの中へと踏み入った。そして隊員が発見したという痕跡……即ち、草の上で何かを引き摺ったような跡と、そこにこびり付いた血痕を目の当たりにした。
「まだ新しいな」
 しゃがみ込み、血痕を指先で擦ると手袋に色が移った。モンスターが獲物を引き摺って此処を通ってから、まだそう経ってはいないという事だ。
「行くぞ、気を引き締めていけ」
 一同の顔をサッと見回し、すっくと立ち上がった隊長を先頭にして、調査隊一同は腰の剣に手を添えた姿勢で木々の生い茂る山林深くへと足を踏み入れていった。
 林の中は頭上を覆いつくす程に枝葉が被さり、今が昼間であると言う事を一瞬忘れそうになるほどに薄暗い。隊長は周囲の警戒を怠らないよう隊員たちに何度も注意喚起しつつ、休み無く歩みを進め続けた。
 そして……
「隊長、あれを」
 側近の騎士が小声で指し示す先には、崖崩れで斜面の一角が抉られた窪みがあり、それを覆い隠すようにして背の低い植物が視界を遮っている。こういった場所は、往々にしてウルフなどの肉食モンスターのねぐらとなり易い。隊員たちに目配せをして、隊長はそっと草を掻き分け、中を覗き込んだ。
「…………」
「……隊長、どうです?」
「…………」
「隊長?」
 穴ぐらを覗き込んだきり、突然押し黙ってしまった隊長の様子を不審に思い、側近の騎士がその背中越しに穴ぐらを覗き込んだ。一体隊長は何を見て黙り込んだのだろうか、その程度の気持ちであった。

「う……うわああああぁぁぁぁっっ!!??」

 突然山林の静寂を切り裂くような叫び声が上がった。背後に控えていた隊員たちは思わずびくりと身体を強張らせ、背中からどうと倒れ込んだ二人の騎士を覗き込む。そして息を飲んだ。
 肉塊……それ以外に表現のしようがない物が、隊長と側近の騎士、二人の顔面へと齧りついていたのだ。体毛は無く、薄紅色のぬめっとした体表には、血管と思しきいくつかの筋が浮き上がって見える。それがコリコリと奇妙な音を立てながら、まるで拍動するかのように全体をうねらせていた。
 一体何が起こっているのか、隊員たちの混乱は彼等の動作を遅らせた。それはごく僅かな時間であったが、謎の肉塊が獲物を捕食するには十分な時間であった。
 顔面に喰らいつかれていたために二人は声を上げる事も出来ず、ただひたすらもがくしかなかった。そして、瞬く間に篩骨を食い破られた。首なのか、はたまた頭なのかも良くわからない部位をもたげたそれらの前面の……恐らく口には、肉色の臓器が咥えられている。
 それが何を意味するか、隊員たちは今度こそ即座に理解した。
 誰が先という事は無い、誰もが先を争うようにしてその場から逃げ出した。そこには規律や統率といったものは無い。有るのはただ捕食者と被捕食者の、ごくごく自然な姿だけだった。


――現在
 ベインワット城の演説台に、初老の女性が立った。艶やかであった赤い長髪も、いまでは積み重ねられた辛く激しい年月を物語るかのようにくたびれている。しかし彼女の瞳に宿る輝きは衰えてはいなかった。
「わたくし達が直面している危機……正体不明の敵性生命体郡、通称『ガイスト』が歴史上初めて登場したのがこのときの事でした。一説によればその前年、ダガー島に落下した隕石によってかの者たちは運ばれてきたのではないかとも言われています。故にその年……マルクティス暦一八五九年を人類終焉の始まりの年として『新暦』と称する物達がいる事も確かです」
 かつて彼女の父親が同じ演説台に立ち、いつ終わるとも知れない戦いの日々に自分たちの手で終止符を打つため国民を鼓舞したように、生き残った人類すべてを振るい立たせようと声を上げている。
 ガイストの出現から五四年。人類は滅亡の危機に直面していた。
 強大な勢力を誇っていた五大国の戦力をもってしても、無限にも思えるガイストの軍勢を前に、人類は成す術も無く敗れ去っていたのだ。
「ですが、わたくしは決してそうは思いません。ホルデイン、ゲブランド、エルソード、そしてカセドリア。以前はネツァワルとともにエスセティアの覇権を争ってきた五大国の内四カ国までがガイストの軍勢により陥落の憂き目に遭いましたが、我々とてそれに対して手をこまねいて見ていた訳ではありません。これまで失われてきた幾万の命を。人類の未来のため、身命を賭して戦ってくれた先人たちの意思を無駄にしないためにも……」
 生き残った人類はネツァワルと海を隔てたヴィネル島へ身を寄せ、ガイストの脅威に怯えながら暮らしていた。
 しかし、人類は滅亡の運命を甘んじて受け入れている訳ではなかった。
 今日、この時、我々人類は全身全霊を賭した最後の大博打に打って出るのだ。
「いま、全人類の命を預かるネツァワル女王イオネス・ツァスカの名の下に。オペレーションカウンターガイストの発動を宣言します!」
 女王の宣言に、広場に集まった数千の民衆からの歓声が上がる。
 その声は空を割らんばかりに鳴り響き、やがて悪夢を薙ぎ払う刃の光へと姿を変えるだろう。
 それが人類すべての望みならば……

 

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