Dimension Force

〜神剣の担い手〜

24

 打ち合わされる二つの剣が、カーンと竹を割ったような快音を立てた。
 これまでとは異なり、今度は光の奔流が空間を走ることはない。
 代わりに空を舞うのは、山下焔群の竹光。その刀身が、まるで試し切りの的のように、真二つに斬り飛ばされたのだ。
 竹光を割った金剛丸はそのまま山下の胸を切り裂いた。袈裟がけに肋骨の悉くをへし折り、突き出していた右腕の骨にぶち当たったところで、やっとその勢いが止まる。
 大量の血を噴き上げながら、山下焔群はどうとその場に倒れ伏せた。
「な、何故……?」
 たった今受けた傷は深く、恐らく肺にまで達しているのだろう。山下は殆ど言葉にならない声で、困惑を露わにした。
 今の打ち合いでディメンションフォースの光が現れなかったのは、山下の神剣が発現していなかった事によるものだろう。ならば、山下の剣はただの竹光にしか過ぎない。
 現代の名工、雪峰の霊刀に太刀打ち出来よう筈も無かった。
 精一杯の力で仰向けになった山下は、握り締めた竹光を眼前に掲げる。そしてそこで、自分の身体に神剣を操るだけの力が残されてはいなかったと言う事実に気付いた。
「そうか……時間切れと、言うことか……」
 そう呟くと、山下は自嘲気味に肩を揺らせた。その表情に何かを感じたのか、百鬼は山下の脇に膝をつき、静かに問い掛けた。
「山下焔群。貴方は自身がこうなる事を知っていたのか?」
「何のこと、かな?」
「貴方は俺が“最後の相手”だと言った。それは自分が此処で死ぬと知って……いや、決めていたからではないのか?」
 その言葉に、山下は百鬼の瞳を見詰める。
 そして、ふっと笑みを漏らせる。
「私は、復讐鬼……だぞ? 死に場所を選ぶような、余裕など……」
「だったら何故剣を止めた!」
 正直、山下焔群を自分の腕で倒せるなどとは、百鬼は毛ほども思ってはいなかった。
 ならば今、致命の一撃を与えられたのは、山下焔群が甘んじて剣を受けたからだ。百鬼はそう思っていた。
「言ったろう……時間切れ、だと」
「時間切れ?」
 不可解な言葉に、百鬼は首を捻る。
「この身体は、仮初め……私の、本来のもの……では、無い」
 呼吸も儘ならないのであろう、山下の息遣いはどんどん苦しそうになって行く。しかし山下は言葉を止めようとはせず、絶え絶えの言葉をなんとか紡ぎ続けた。
「この身体を、使う事が……できる、限界……ッ」
 と、そこで山下は突然力無く咳込み、喉の奥から逆流した多量の血を吐き出した。
「一体、何故……そこまでして、貴方はこの国に復讐したかったのか? 昭和天皇が、本当に我が身可愛さで国を売ったなどと思って居るのか!?」
 それでも、百鬼は激しく追及する。
 それは山下を、本当にこのまま死なせてはならないと思ったからだ。
 真実を知らぬまま、怨恨に身を焦がしながら逝かせてはならない。
 天皇という単語に微かな反応を見せた山下に、百鬼は畳み掛けるように言葉を重ねる。
「陛下はこの国を売ってなどはいない。自らの命と皇室の財を投げうってでも、飢えに苦しむ国民を救って欲しいと、米軍元帥に直接……」
 と、百鬼が必死に紡ぐ言葉を、山下の言葉が遮る。
 いや、それは言葉ですら無い。音にならない呟きを、山下は口にしたのだ。
(……分かっていたさ)
 山下の唇は、確かにそう告げていた。
「ならば、何故?」
(認めたく無かった……いや、違うな)
 百鬼の問い掛けに唇の動きで答えながら、しかし山下は自らの答えを否定した。そしてこう正す。
(夢を見ていたんだ。そうすることで、私たちの日本を取り戻せると……信じたかったのだ)
 音も無く、声も出さず。山下は笑う。しかしその表情からは、己に対する卑下や自嘲の色は窺えない。ただ寂しそうに、切なそうに。口許に笑みを浮かべて見せていた。
(私の負けだ、一青百鬼……どうやら、逆賊は私の方だったようだ)
 対する百鬼は、何と言葉をかければ良いのかが分からず、ただただ黙って山下の言葉を読み取るだけであった。
 ふうと息をつき、山下焔群は真正面を……太陽が頭を見せはじめた空を見詰めて、音の無い言葉を紡ぐ。
(一青……国綱を、どうか悪いようにはしないでやってくれ。あの子は、真に日本の未来を憂いているのだ……)
 それが通じたのか。山下焔群には分からない。
 だが、百鬼が力強く頷いたのを見て、山下は満足そうに瞳を閉じた。 

 

25

 これで良かったのだ。
 闇に微睡む意識の中で、山下焔群は繰り返し呟いていた。
 六十年の長きにわたり、我が心を支配し続けていた怨恨の焔も消えた。後は若い世代の人間に……今という時代を生きる若者達に未来を託そう。
 逆賊は逆賊らしく地獄に堕ち、重ねた罪を……掛替えのない同胞達。愛し、守るべき子供達に刃を向け、命までも奪ってしまったこの罪を購おう。
 一抹の後悔も、若き剣士の一閃が全てを薙ぎ払ってくれた。永遠の煉獄に落ちる事も。今ならば素直に受け入れる事が出来る。
 そう。これで良かったのだ……

 安らかな気持ちで迎えを待つ山下は、闇の中で誰にともなく呟いた。
「一つだけ心残りがあるとすれば……」
 瞳の奥から、とうの昔に捨てた筈のものが溢れ出してくる。
「もう、君に会えないことだけが心残りだよ……薫子さん」
 強く閉じた瞼の裏に、山下焔群が愛し、その身命を賭して護りたいと願った唯一の女性が浮かび上がる。
 だが、山下は知っている。彼女が自分を迎えに来た訳ではないと言うことを。
 浮かび上がったのは幻影。
 本当の彼女は、これから自分が向かう場所とは真逆の世界に居る筈だ。
 もう二度と。未来永劫二人が交わる事はない。
「済まなかった……君を護ると誓ったのに。私は約束を果たせなかった」
 懺悔の言葉を口にした山下に、妻の幻影は静かに首を振り、そっと彼の隣に腰を降ろす。
「わたしは……幸せでしたよ。ほむらさん」
 その小さな手の平で山下の頬を撫でながら、愛おしそうに、幻影は言った。
 山下の頬を一雫の涙が伝い落ち、やがて全てが光に融けていった。



 山下焔群が息を引き取った事を確認して、一青百鬼は音も無く立ち上がる。
 血に塗れた刀を提げ、まるで幽鬼の如き佇まいで、静かな殺気を放っていた。
「居るのだろう?」
 その声には、先程までの熱さは微塵も無い。
 ただ只管に冷たく、鋭く、そして怒気に満ち満ちた声だった。
「隠れていないで出てこい……国綱!」
 自分以外の気配が消えた日本庭園で、一青百鬼が吠えた。

 少しの間を置いて、パチパチと気の抜けるような音が響き始める。
 続けて、人を小馬鹿にするような軽い調子の声が、何処からとも無く投げ掛けられた。
「いやぁ、お見事お見事。まさか剣鬼山下を倒せる剣士が居るなんてね」
 じゃりっという足音に振り向くと、いつの間にか一つの人影が立っている事に気付く。
 先日、山下焔群と初めて対峙した際にもその場に居合わせた、学生服の少年である。
「貴様が山下焔群を嗾けたのか?」
 抜き身の刀を提げたまま、百鬼はゆっくりと国綱へ向けて歩みを進める。
「嗾けるなんてとんでもない。俺は山下少将が願いを叶えるために、ちょいと手助けしてやっただけさ」
 百鬼の問い掛けに、国綱は少しも悪びれる様子も無しに答えた。言葉の上では否定しているが、その答えは明らかに肯定の意が含まれていた。
「山下少将は今の日本をブチ壊して、昔の日本に戻したかった。だから、俺がどうすれば良いか教えてやった……それだけさ」
「それが貴様に何の得があると言うのだ。貴様の目的は何だ!」
 剣を突き付けながら、百鬼は激しく詰問する。
 山下焔群の深い悲しみと絶望を知り、その感情に付け込んで彼を利用したのならば、自分はこの少年を許すことは出来ないだろう。
 一青百鬼はぴりぴりと肌を焦がす程の殺気を放ちながら、ずんずんと詰め寄って行く。
「俺の目的?」
 ふふんと鼻を鳴らし、国綱は両手を広げて天を仰ぎ見た。
「一青百鬼。あんたは考えた事が無いか? 俺達のこの力は、一体何の為にあるのかって」
「…………」
「眼に見えない筈のものを見て、手で触れられない筈のものに触れる。知ることが出来ない筈のものを知り……」
 どこか恍惚としたような表情を浮かべ、国綱はそこでぴたりと言葉を切った。
 そして放つ。

「殺せない筈のものを殺せる力の事を」 

 

26

 国綱の身体が突然爆ぜる。
「!?」
 肉体が爆発したかと錯覚するほどの猛烈な勢いで、国綱は百鬼に向けて突進した。
 その勢いや、山下焔群の剣閃に勝るとも劣らない。
 咄嗟に金剛丸の刀身を立てて国綱の攻撃を受け止めた百鬼を、強い強い衝撃が襲う。
「ま、まさか……」
 ぎりぎりと刀が押される感触。しかし、徒手空拳の国綱が素手で金剛丸を捩伏せている訳ではない。
 国綱の手は金剛丸に触れてはいなかった。
 しかし、明らかに何か……そう。目に見えない刀のようなものが金剛丸を押さえ付けているのだ。
「馬鹿な。神剣……だと?」
 驚愕に眼を見開く百鬼の表情に気を良くしたのか、国綱は満足気に口角を吊り上げる。
「驚いてくれたかい? コイツで山下少将の残りカスを適当な肉体に固定してたって訳さ。山下少将が動いてる内は俺もコイツを使えなかったんだが……ッ」
 得意げに語りながら、国綱が神剣を思い切りよく振り抜くと瞳に映らぬ光が渦巻き、頭二つ近い対格差のある百鬼が軽々と弾き飛ばされてしまった。
 不様に尻餅をついた百鬼に歩み寄りながら、国綱は得意顔で語り続ける。
「アンタなら分かるだろう? 俺達は今の時代じゃ爪弾きにされちまう人種だ。そりゃあそうだよな。こんな殺すこと以外にゃ何の役にも立たない人間だ……でもさ、逆に言えば、俺達にとっても“こんな平和な時代なんて退屈なだけ”だ。そうだろう?」
 その表情を目の当たりにした百鬼は、全身が粟立つかのような感覚に襲われた。
 それは山下焔群のような凄みのある笑みではないが、悪意と狂気が入り混じったような、身体中の血液が凍りつくような錯覚を覚える程に邪悪な笑みだった。
「なら、戦乱の時代を導いてやろうじゃないか。俺達の為に、俺達が生きるべき時代を作る。強いて言えば……フフ、それが目的かな」
「……悪魔め」
 想像を絶する狂気。この国綱と言う少年からは、圧倒的なまでの悪意が満ち溢れている。
 やっとの思いで吐き出した一言に、国綱は楽しそうな笑顔で答える。
「ハハッ悪魔か良いね」
 上機嫌に言いながらも、しかし国綱はくるりと百鬼に背を向けた。
「っ!? 待て!」
 慌てて起き上がろうとする百鬼に、瞬時に振り返った国綱の剣が突き付けられる。
「慌てるなよ。せっかく面白そうな玩具が現れたんだ。すぐに壊したら勿体無いじゃないか」
 ぐっと息を詰まらせ、しかし百鬼は国綱へと問い掛ける。
「何故山下焔群を利用した」
「別に。俺みたいなガキがやっても説得力が無いだろ? だからさ」
「説得力……だと?」
「そ。子供が世界に不満を言っても“まあ子供だから”で済んじまうだろう? だから代役を立てたのさ。山下少将だったのは……まあ偶然だな」
 相変わらず少しも悪びれる様子もなく、国綱は平然と言い放った。
「そんな自分勝手な理由で……彼の魂を弄んだのか!」
 今現在、自分が圧倒的不利な状況に置かれている事も忘れて、百鬼は怒号を発した。
 だがそれを受けても、国綱は余裕の表情を深める一方だ。
「それが何か?」
「貴様ァッ!」
 百鬼が怒りに任せて振り上げようとした剣を、国綱は冷静に弾き飛ばした。
 カーンと言う金属音と共に金剛丸が宙を舞い、少し離れた地面に深々と突き刺さる。
「ぐ……」
 剣を弾かれた衝撃に痺れる右手を押さえながら、それでも百鬼は戦意を失ってはいない。
 だが、この状況においては国綱に勝てる見込みが全くないと言うのも事実であった。
 ぎりと奥歯を噛み締める百鬼を冷たい視線で見詰める国綱だったが、やがて無言のまま背を向けると、百鬼を置いてすたすたと歩き始める。
「待て!」
 再び百鬼が制止をかけるが、今度は振り向く事なく、国綱は朝の景色に姿を消して行った。 

 

27

「容疑者と目される男は、高村政司34歳。土木建築業者で一ヶ月半前に仕事中の事故で左腕を失う大怪我を負い、そのまま昏睡状態が続いていました。しかし三週間前に意識不明の筈の高村容疑者が病室から失踪。以降一切の消息が途絶えていました」
 メモを片手に、阿傍閻が警察から仕入れた情報を報告していた。
 新宿御苑で一青百鬼によって倒された男……山下焔群の死体から身元が判明したとの事だ。
「犯人は山下焔群の模倣犯だったって事なんでしょうかねぇ?」
 閻が小首を傾げながらそう締め括ったが、百鬼は難しい表情を崩さぬまま、何かを考えている様子であった。
「どうした百鬼。何か不満が有りそうだが?」
 そう尋ねたのは、百鬼の刀を用意し、捜査にも協力した雪峰である。
 雪峰自身も今回の犯人が山下焔群の模倣犯などとは考えていない。
 事実、被疑者である高村政司はこれまでディメンションフォースの所持を確認されてはおらず、また、現代日本に不満を並べ立てるような人物でも無かったらしい。
 高村が剣を習得していたと言う事実も無く、片腕を失った後に百鬼と対等以上の戦いが出来るなど、とてもじゃ無いが考えられない事だったのだ。
 だからこそ、こうして事後報告を聴きに神宮宿舎に再び足を運んでいるのだ。
「彼は模倣犯等ではない……何らかの方法で大戦時の英傑が現代に甦ったのです」
 そうではないと、百鬼は唸るような声で呟いた。
 その言葉に、閻と雪峰は顔を見合わせる。
「私達も一般人があんな事を起こしたとは思っていません……でも」
 百鬼の言葉に賛同したい気持ちは、閻も雪峰も同じである。しかし故人である山下が甦る筈も無い。
 神社庁の資料にも、死んだ人間を甦らせたという明確な記録は一つも無い。全て伝承や噂といった程度の曖昧な記録でしか無かった。
「山下が復活したって事を証明出来ないんだよ。世界一生きた死んだの話に明るい神社庁でも証明出来ない事を、末端の俺達がそうだそうだと言う事は出来ねえだろ?」
 百鬼の事を信じていない訳ではないと、閻も雪峰も声を揃える。だが、それを肯定する事が出来ないという事もまた事実だった。
 百鬼もその事は重々承知してはいるのだ。
「何か証拠になる事があるってんなら、神社庁を上げての調査が必要になるかもしれねぇけどな」
 そんな雪峰の言葉に、俯きかけていた百鬼の顔が上げられる。
「証拠……ですか?」
「おう。証拠ってか、そう考えた根拠が明確なら。山下焔群だけじゃなく、他の死人でも甦っちまうような可能性がある……その原因に心当たりが有るなら、神社庁として放っておく訳にゃあ行かないよな」
 今日はまだ冷たいままの烏龍茶を啜り、腕を組んで自分の話にうんうんと頷いた。そんな雪峰の弁に、百鬼は再び視線を落とした。
 暫く考えた後、百鬼はぽつりと切り出す。
「国綱という少年が言っていたのです。神剣の力で山下焔群の魂を肉体に留めさせていると」
 百鬼の告白に閻、雪峰両名が反射的に腰を浮かせかけた。
「そ、それってどういう事なんですか?」
 眼を白黒させる閻と雪峰の様子からも、それが衝撃的な証言である事がわかる。
「分かりません……ですが、国綱という少年が鍵を握っているという事は確かです」
 今回の事件の首謀者でもある少年。彼には得体の知れない強さと野望、そして神剣の力がある。
「山下焔群の件を抜きにしても、国綱という少年を野放しにする事は出来ません。民間人に太刀打ち出来る相手でない事は自分が証明済みですから」
 国綱を放っておけば、いずれ第二第三の山下焔群が誕生してしまうかも知れない。
 この国を再び戦火に晒すなどと言う事は、尊い命を落として行った、山下焔群をはじめとする幾千の勇士達に誓って許しはしない。
 脇に置かれた金剛丸に手を触れ、百鬼はこれから始まるであろう戦いに望む決意を、今正に固めたのだった。 

 

28

 伏見このからが神社庁の仲間として迎え入れられた夜。まだ少し肌寒い夜風に当たりながら、空狐天司(くうこてんし)は月見酒を味わっていた。
 宴も酣となり、宿舎の者達が片付けをしているのを余所目に、飲み足りないと言わんばかりに酒瓶をがめて縁側に陣取っているのだ。
「司様、少しよろしいですか?」
 庭の夜桜を肴に盃を傾けていた司に声を掛けたのは、微かに酒気を帯びて顔を上気させた一青百鬼である。
 その姿をちらと横目で見遣り、しかし司は先ず、盃を空にした。
 ふうと艶っぽい吐息を漏らせ、たっぷりと余裕を持たせた所作で首を巡らせた司は、さも“今気付いた”とでも言わんばかりの調子で応える。
「何だ百鬼か。どうした、私に何か用か?」
 言いながら司は酒瓶に手を伸ばしかけた……が、先回りした百鬼が瓶を手に取り、司に向けて瓶を傾けていた。
 司はそれを無言で受ける。
 話したいことがあるなら話してみろ。そう無言で告げているのだ。
 百鬼は一言断ってから司の隣に腰を降ろした。
「先程司様は、死んだ人間が甦る事は無いと仰っていましたね」
「言ったな」
 百鬼の言葉に短く相槌を打ち、くいっと盃を傾ける。すかさず百鬼は瓶を差し出し、司は無言で盃を受ける。
「実は去年、六十年も昔に死んだ筈の人間と立ち合う事があったのです」
 言いながら、百鬼は自分のコップに手酌で酒を注ぐ。
「山下事件と言うヤツか?」
「ご存知でしたか?」
「話程度はな」
 あれから一年。山下焔群の情報は一般公開はされず、神社庁及び関係機関にのみ、山下事件という名で秘密裏に通達されていた。
伏見稲荷大社は直接的には神社庁とは関りがない機関だが、連携を一切取って居ないという訳ではなく、然るべき情報は伝えられているのだ。
「司様。死んだ人間が甦る事が無いのならば、山下焔群はどのようにして現代に舞い降りたのでしょう?」
 一年という時間をかけても、山下焔群復活の謎は解かれていなかったのだ。
 そのため、二千年の時を生き、幾名もの術士を育て上げた妖怪仙人でもある司の智恵を借りられるなど、願ってもない事であったのだが……
「わからんな」
 司の答えは存外素っ気ないものだった。
 むうと言葉を失う百鬼に、しかし司は盃を揺らしながらこう続けた。
「やれ死人が甦っただのと言われても、私とて何でも分かる訳ではない。知っていることを全て話してみなさい」
 そういって盃を煽る司に、結局百鬼は山下事件のあらまし全てを話す事になってしまった。

「ふむ」
 一通りの話を聞き終え、司は盃を置いた。
 体ごと百鬼の方へと向き直ると、何故かキチッと正座をして、語りはじめる。
「死した人間がその感情を空間に焼き付ける際、その感情が強ければ強いほど、純粋であるなら純粋であるほど、はっきりとした形で長い時間に渡りその場に留まり続ける。遺ったものは第四方向への干渉力が無い人間には見ることも触れることも出来ない」
 それは先程、司とこのかの会話でも触れられていた事だ。
 しかし百鬼は黙って頷き、話しの続きを促した。
「逆に言えば、干渉力のある者にならば、それに触れる事は可能だと言うことだ」
「では、第三者によって甦らせる事が可能だと!」
 百鬼は知らず知らずに声を高くしてしまった。だが司は静かに頭を振った。
「いや、たとえ意識の無い人間にそれを植え付けたとしても、意志や感情を備えた人間として甦えりはしない。それは感情の塊に過ぎず、意識を形成するには殆どのパーツが足りない状態だからだ……キョンシー映画があるだろう? あんな感じが関の山だ」
「では、山下はどうやって?」
意図せずに答えを急かしてしまった百鬼だが、司はその事に付いては何も言わず、そのまま話を続けた。
「その国綱とか言う小僧が神剣で感情の残滓を肉体に固定する際、足りない部分を継ぎ足したのだろう。それが小僧の力か、剣の力かは分からんがな」
 要するに、国綱を捕まえるなどして白状させるなりしなければ分からないというところか。
 一先ずは誰にでも真似出来る程に容易な事で無いのは確かなようだ。
 百鬼は司に深々と頭を下げ、静かに居間へと引き上げて行った。

「失われた鬼丸が現れたか……」
 ぽつりと呟き、司は月を仰ぐ。
 神剣の名を持つ少年、国綱。
 その凶気を止める事が、一青百鬼に出来るだろうか?
「だが、百鬼以外に託せる者も居ないだろうな……神剣を封じるのは、神剣の担い手と決まっているからな」
 誰に対してでもなく司はそう独白し、盃を傾かせた。 


 Dimension Force – 神剣の担い手 - 了

 

<<戻る<<

目次へ