〜異説 日本神話〜

お稲荷さんの誕生

「起」

 

 皇紀1370年と言えば、和銅三年。西暦に置き換えれば710年と言う事になる。

 当時伊奈利山の麓の一帯は、伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)という氏族が治めており、稲作によって栄えた非常に裕福な国であった。

 秦氏はその豊富な稲の産出によって財を築き、どんどんその力を広げていったのだが、人の欲とは恐ろしいもので、伊侶巨秦公は民に税を課し、収穫された稲の多くを献上させて私服を肥やすようになっていった。

 伊奈利じゅうの米をかき集めているものだから、秦氏の米倉は食べ切れないほどの米で溢れかえり、一向になくなる気配がない。その事に慢心した伊侶巨秦公は、あるとき民から徴収した米で餅をこね、それを弓矢の的として遊び始めた。

「金持ちの道楽」……民が見れば辟易した事だろうが、まあそれだけだ。ただ、その様子を見ていたのは伊奈利の民だけではなかった。

 

 ――伊奈利山の山頂から千里先を見渡す瞳で、その様子を眺める者がいた。

「おい小薄、あの人間を見たか? 」

 うきうきした様子で手下の狐に問い掛けたのは、明るい髪をした少女……と言いたいところだが、見た目が若々しいからといって彼女が年端も行かない娘かと言うと、必ずしもそうとは限らない。

「見ていませんよ。何がお見えになったのですか、御饌津様?」

 小薄(おすすき)と呼ばれた狐は否と答え、主である“神“御饌津神(みけつのかみ)へと問い返した。

 御饌津神はまるで悪巧みを思いついた悪童のように、にやりと口角を吊り上げ、自分が見た里の様子を小薄へと伝えた。そして心底うれしそうにこう付け加える。

「どうやらあの人間は、稲が実りすぎて困っているらしいぞ」

 楽しくて仕方がないという様子で、ついに御饌津神は哄笑し始めた。どうやら下らない事を思いついたようだ。主の言わんとしている事を悟り、小薄は深くため息をついた。近いうちに、山の狐すべてが駆り出される事になるだろう。

 ついと涎を垂らしながら、御饌津神は恍惚の表情を浮かべている。恐らく彼女の頭の中は、大盛りのご飯でいっぱいになっている事だろう。

 小薄の予想を裏付けるかのように、御饌津神は涎を垂らしたままの顔で、やはり予想通りの台詞を口にした。

「ここはひとつ、私が食べてやろうじゃないか!」

 

 

 

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